2020/11/14
数秘術33・厄年と三十三間堂・喜多見不動尊と岡田有希子
【厄年とは】…厄年とは、平安時代から始まり、厄年の年齢を迎えると神社やお寺などで厄除け、厄払いをします。神社で祈祷の場合は「厄払い」、お寺で祈祷の場合「厄除け」といいます。厄年は、一年前は前厄といいます。一年後を後厄、厄年(本厄)を中心に構成されている。本厄の年齢は次の表の通りで、男性は42歳、女性は33歳と要注意とされている期間です。男性 | 25歳 | 42歳(大厄) | 61歳 | |
女性 | 19歳 | 33歳(大厄) | 37歳 | 61歳 |
前厄は、厄年に何かが起こる前兆の年であることを意味し、後厄は、厄のおそれがなくなる年の意味で、3年間は厄年が続くことになるので、健康や生活に気をつけるように、厄払い、厄除けをして新年を迎えます。
厄年は、数え年で行う為、男性の41歳は数え年だと42歳になるので「しに」、女性は32歳が数え年なので33歳「さんざん」とよめることで、この年齢が厄年の最も災難が起こる「大厄」といわれている。言葉の語呂には言葉には神が宿ると考えられている為である。
※岡田有希子は、当時18歳で亡くなっている為、数え年の19歳本厄となります。
【厄年の出産・男児は厄を落とす、女児には厄がうつる?…】
女性は30代に厄年が6年間あります。厄年の出産は「厄を落とす」と昔から考えられており、縁起の良い事と諸説あります。男児の場合は「厄を落とす」、女児の場合は「厄がうつる」といわれ、男児を産めば母親の厄を落としになり、厄が無くなるのですが、女児の場合は、母親の厄が赤ちゃんに移ってしまうといわれている。そこで、女児が産まれた場合。母親が赤ちゃんを道端に置いて家に帰り、人に届けてもらう「捨て子の儀式」を行い、厄を払うという風習もあり、中には迷信だという声もあります?
【子どもの厄年とは?】
数え年で13歳の年は、生まれて初めて干支が一周する年。13歳の子どもの厄払いは「十三参り」「十三詣」とよばれ、厄を払うと同時に大人になる儀式とも考えられた。関西地方を中心に行われており、関東地方を中心に行われている「七五三」、3歳の男児・女児、5歳男児、7歳女児が11月に地域の氏神様に詣でる風習、厄年に由来するといわれています。
【熱田神宮-七五三参り】(参照:岡田有希子ー佐藤佳代の七五三参り
…岡田有希子(佳代)三歳…
【三十三間堂】…三十三間堂の正式名所は、蓮華王院(れんげおういん)。蓮華王とは千手観音の別称。
三十三間堂は「三十三間四面」に由来し、お堂内陣の柱間が33ある建築物です。
三十三間堂内には千手観音像が1001体あり、全て御本尊です。国宝千手観音像、重要文化財の千体千手観音立像。
千手観音には40本の手、一本の手に25の救いが働く。40本×25人=1000人の人々を救済するといわれています。
言い伝えによると後白河法皇は千の手によって無数の救いを願い、千体作ったと云われている。千体の中で124体は創建時代の平安期の尊像、その他は鎌倉期につくられ約500人の作者名が残されています。有名な作者名に運慶、快慶など。
1249年火災焼失となり、後嵯峨上皇によって本堂が再建(朱塗り)。桃山時代に豊臣秀吉によって大仏殿方広寺を三十三間堂の北隣に造営。重要文化財に指定され太閤塀として現存します。
観音様は(観自在菩薩)は慈悲のこころにより、救いを求める人がいたら、すぐにその人の側によって、救済するといわれ、最も一般の人々に親しまれる観音様である。観音様も33の姿に自在に変化し、状況に合わせ人々の苦しみ悩みに寄り添い、衆生の人々を救うと考えられています。33は、天使の数(エンジェルナンバー)とも呼ばれ観音様同様に、人々の苦しみや悩みに寄り添って救ってくださいます。仏教もキリスト教も関連が深い。

【喜多見不動尊と岡田有希子】…ユッコ(有希子)は、世田谷区にある
喜多見不動尊をよく訪れたようです。当時の相澤会長と毎朝6時に
ジョギングをしながら、芸能人の心構えをデビュー前までに教わった。
その後10円玉6枚を6体ある6地蔵菩薩の前に賽銭毎月1日と15日に
丹念に回って祈願した。
パワースポットである神社やお寺、有希子は地蔵菩薩から不思議な力を
授けて貰ったのだろうか?…
※1984年(昭和59年)9月1日発行-平凡9月号 画像は雑誌の切抜きから
※不動明王は、大日如来の化身で真言密教の弘法大師が開創。
【喜多見不動尊】…喜多見不動尊は、不動明王を本尊とする仏閣です。
明治初期に起きた、多摩川大洪水の時、喜多見河原に流れ着いたものを、当時の住民が成田山新勝寺で入魂し、お堂に安置したと伝えられる。境内には湧き水による滝があり、滝不動も祀られている。毎年、冬至の日には、星祭りが行われる。


