2021/08/12
123便日航機墜落事故と『哀しい予感』/岡田有希子
【123便日航機墜落事故】…1985(昭和60)年8月12日。123便は大阪行き(伊丹空港)18:12分発羽田空港(東京国際空港)を飛び立った。飛行直後に異常が発生して、18:56分群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(通称御巣鷹山の尾根)に墜落事故をした。123便の乗客乗員524名うち死亡者520人、生存者4名で航空機最大の事故になる。
【123便と古事記】
…日航機123便墜落事故の場所は、高天原も御嶽神社(国常立尊くにたちのみこと)も祀られている。高天原にある神社の両脇に眠る520体の石仏。その神社のご神体は、国常立尊(くにとこたちのみこと)です。古代日本の王であった国常立尊は優れた人物でしたが、厳格すぎる性格が災いして家臣に恐れられ、暗殺されました。
そして、暗殺された国常立尊の首が流されたのが神流川、胴体を流したのが荒川、暗殺者が返り血をすすいだ時、くまなく血で染まったのが千曲川(ちくまがわ)そしてその三つのかわの源流こそが高天原です。その神社に国常立尊(くにとこたちのみこと)が生き返るようにと、昔の人たちはコツコツと石仏を納めました。そして納めた520体の石仏に、JAL123便で命を落とした520人の御霊が入った瞬間、国常立尊が蘇るという伝説があります。この伝説を知る地元の人々は、JAL123便の事故のニュースを見た時、犠牲者が520人だったとわかって、〈あぁ、この人たちが神様を蘇らせてくれるのだ」と悟ったそうです。520人は無駄に犠牲になったわけではなかったのです。彼らは国常立尊となり、日本の国を守るために蘇ったのです。
…2012年3月25日 ムーのブログより一部転載させていただきました。…
【『哀しい予感』と123便日航機墜落事故】
…1985年(昭和60年)7/17日発売の6枚目のシングル『哀しい予感』だ。この年には世界の飛行機事故で史上最大といわれた123便日航機墜落事故である。悪魔の計算なのか計画なのか?まさしく哀しい予感が的中した歌だ。岡田有希子は8月12日は大阪厚生年金会館でコンサートを開催している途中でザ・トップテンの生放送歌番組の途中での123便日航機墜落事故を知ることになる。ゲマトリア的には、サタン(不完全な)、独裁者、権力、人間を表すため忌まわしい数字ともいわれる。が、ユダヤ教では、ダビデの星も意味するため、希望の意味も含まれる。
こちらも参照!<数秘術33・123便と岡田有希子[再投稿版]>

『哀しい予感』第9位ーザ・トップテン(1985.8.12)
(大阪中之島公園内のフラワーパークにて生中継)
【123便日航機墜落事故と岡田有希子】
…1985年(昭和60年)年8月8日TBS「ザ・ベストテン」に「哀しい予感ー岡田有希子」が8位にランクインする。その4日後に日航機123便墜落事故が起きる。岡田有希子が自殺とされた日付も1986年4月8日で、亡くなる4日前のテレビ朝日の「歌謡ドッキリ大放送!!」が最後の収録となる4日後に亡くなる。123便とでリンク(暗示)しているとも思える。
「哀しい予感」は岡田有希子の6枚目のシングル。ちなみに8月12日の日本テレビ「ザ・トップテン」の10位が「シャイ二オン・君が哀しい」LOOK、9位が「哀しい予感-岡田有希子」でした。何か日航機123便の墜落事故を暗示でもしているような歌のランキングであり、心中岡田有希子も気持ちが落ち込んでいたのではないだろうか?…
岡田有希子 / 哀しい予感
『哀しい予感』第9位ーザ・トップテン(1985.8.12)
(大阪中之島公園内フラワーパーク)
歌手:岡田有希子 作詞/作曲:竹内まりや 編曲:松任谷正隆
(https://youtu.be/r1_fkfiJh_k:youtubu引用)
★追記…
1985年(昭和60年)8月12日に起きた、123便日航機墜落事故。あれから今年2021年(令和3年)8月12日で36年が経とうとしています。
123便日航機墜落事故は世界航空機最大の事故として記録され、日本国民にとっても忘れられない参事となりました。
時代が経つにつれ、だんだん記憶が薄れていく。この大惨事は、航空機にとっての最大の課題として、今後は受け継がれ記憶の風化が懸念されるなか二度とあってはならない。亡くなられた方の遺族の方々のご冥福をお祈りいたします。

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