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2・使徒言行録=奇跡=超能力(再)、禁じられたマリコ

【使徒言行録とは?】…まず、使徒言行録とは「聖書」の書物(新約聖書)の中で、イエス・キリストの12使徒による宣教活動を記した内容である。主に、「新共同訳」としてプロテスタント教会の礼拝、カトリック教会のミサで朗読するときに用いる。

【使徒言行録8章節4ー25-サマリアで福音が告げ知らされる】…さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた。フィリポはサマリアの町に下って、人々にキリストを宣べ伝えた。群衆は、フィリポの行うしるしを見聞きしていたので、こぞってその話に聞き入った。実際、汚れた霊に取りつかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫びながら出て行き、多くの中風患者や足の不自由な人もいやしてもらった。町の人々は大変喜んだ。ところで、この町に以前からシモンという人がいて、魔術を使ってサマリアの人々を驚かせ、偉大な人物と自称していた。それで、小さな者から大きな者に至るまで皆、「この人こそ偉大なものといわれる神の力だ」と言って注目したのは、長い間その魔術に心を奪われていたからである。しかし、フィリポが神の国とイエス・キリストの名について福音を告げ知らせるのを人々は信じ、男も女も洗礼(バプテスマ)を受けた。シモン自身も信じて洗礼(バプテスマ)を受け、いつもフィリポにつき従い、すばらしいしるしと奇跡が行われるのを見て驚いていた。エルサレムにいた使徒たちは、サマリアの人々が神の言葉を受け入れたと聞き、ペトロとヨハネをそこへ行かせた。二人はサマリアに下って行き、聖霊を受けるようにとそのひとびとのために祈った。人々は主イエスの名によって洗礼(バプテスマ)を受けていただけで、聖霊はまだだれの上にも降っていなかったからである。ペトロとヨハネが人々の上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。シモンは、使徒たちが手を置くことで、″霊”が与えられるのを見、金を持って来て、言った。「わたしが手を置けば、だれでも聖霊が受けられるように、わたしにもその力を授けてください。」すると、ペトロは言った。「この金は、お前と一緒に滅びてしまうがよい。神の賜物を金で手に入れられると思っているからだ。お前はこのことに何のかかわりもなければ、権利もない。お前の心が神の前に正しくないからだ。この悪事を悔い改め、主に祈れ。そのような心の思い出も、赦していただけるかもしれないからだ。お前は腹黒い者であり、悪の縄目に縛られていることが、わたしには分かっている。」シモンは答えた。「おっしゃったことが何一つわたしの身に起こらないように、主に祈って下さい。このように、ペトロとヨハネは、主の言葉を力強く証しして語った後、サマリアの多くの村で福音を告げ知らせて、エルサレムに帰って行った。

…【新共同訳】聖書より一部転載…

※用語解説…フィリポ[12使徒の弟子の中で選ばれた七人奉仕者の一人] 
 
・中風患者[脳血管障害(脳卒中)、半身不随、手足のしびれ、麻痺] 
・洗礼(バプテスマ)[従来のプロテスタント訳で「バプテスマ」と訳され、
 ギリシア語、「バプティスマ」の音訳。
・ 動詞形の「バプティゾー」は「水に浸す」という意味。ヨハネは
 「悔い改めの洗礼」を授けたがユダヤ教の一部は、宗教的な清めの儀式とし、
 罪からの清めと、キリストと一致する新しい生活に入るしるしとなり、
 教会の重要な聖礼典もしくは秘跡となった。 
・手を置くと[堅信の秘跡を思わせる表現。ここで与えられる聖霊とは目に見える
 聖霊の賜物である。
・ペトロとヨハネ[12使徒]


【使徒言行録に見る見解】…キリスト教、特にカトリックでは、入信の秘跡とも言われる「洗礼の秘跡」「堅信の秘跡」「聖体の秘跡」と呼ばれる三つの秘跡を洗礼式の時に司祭の手(按手)から授けられる。特に「堅信の秘跡」は司祭の手を通して秘跡をうける人の頭に手を置き、聖別された油、塗油を聖霊が与えられるよう祈る言葉をとおし授けられる。目に見える形(動作)での秘跡でもある。使徒言行録によると、当時の使徒はもちろん、その弟子(奉仕者)達も、秘跡によって奇跡を起こすことができたのだろう。いわば、超能力ともいえる。しかし、お金では聖霊は手に入るものではなく、私利私欲のために使おうとすると力は失せ、いつか滅びてしまうということを述べている。むろん、現在においても同じことであり、超能力でお金持ちになろうと思っても私利私欲がまさり、いずれ滅びてしまう。奇跡あるいは超能力は、ある人を救いたい、守りたいという思いが強いと力が倍増し、見えない力(守護霊)からも守られる。

仏教でも、高野山真言宗は密教と深いつながりがあり、胎蔵界、金剛界といった結縁灌頂と呼ばれる儀式を行っている。灌頂とは、もともとインドの王子様だけに与えられた儀式で、カトリックの洗礼式と同じく頭に水を浸す行為、位の高い人だけに与えられた。これを、真言宗の創設者弘法大師空海が日本に初めて結縁灌頂として一般庶民にも授けるように取り入れたのである。カトリックの秘跡にはこのほか4つの秘跡がありこれらを七つの秘跡(サクラメント)という。

【禁じられたマリコに見る超能力】…「禁じられたマリコー第6話[私はあなたを赦さない]」の中で、実に【使徒言行録】を説明しているかのような場面(シーン)が2:23秒付近から8:35秒付近にかけての場面(シーン)である。まさに、窮地の人を危険から守りたい、救いたいという思いが超能力(奇跡)を増幅させる。そこに、怒りが入ると力が倍増するということをこの場面で現している。

第6話 私はあなたを許さない「禁じられたマリコ」        第6話[私はあなたを赦さない]「禁じられたマリコ」


​​
福田元昭の「桜の木になろう」のブログでは、福田さんはじめ他の方々の岡田有希子さんが演じた「禁じられたマリコ」について非常に参考になる見解を記事に掲載しているので転載したいと思います。

<転載ここから 2018/11/06 (Tue) 10:47 | URL | 編集 | 返信                     
★○○さんへ - 「禁じられたマリコ」への見解

このドラマは超能力者マリコを巡る物語ですが、なんと言ってもメインタイトルに注目です。主役には「麻里子」という正式な漢字名が当てられているのにどうして「マリコ」と片仮名なんでしょう?

こういう場合、実在する「マリコ」さんが別に居ると考えられます。そして、有希子さんをマリコ役にすることで、実在する「マリコ」さんを有希子さんに仮託しているのだと考えられます。その傍証となるのが、第9回放映の「もう一人の超能力少女」というタイトルです。

そして、放映終了から2ヶ月半後の1986年4月8日、有希子さんを投身死させることで、その「マリコ」さんへの呪いを完成させたと見ることができます。その暗示は第4回「生きていてもいいですか」、第10回「死の実験室」というタイトルに現れています。

実はこの「マリコ」さんに該当する人物に思い当たる節があります。外見はいたって普通の女性ですが、陰陽師の世界では知る人ぞ知る霊能者で、私も会ったことがあります。年齢は有希子さんよりちょっと上くらいでしょうか。お墓で死者と会話したり、人の先祖とお話するなんてのは朝飯前で、極みつけは、この人と一緒に飲食店に入ると、どんな時間、どんなにガラガラの店でも30分以内に満席になるという不思議な現象が実際に起きることです。私の所感では、能力は間違いなく世界トップレベルなのに、全くそれを生かせてなく残念な人だなと思っていました。もしかしたらこのドラマで能力封じを掛けられたのかもしれません。

すぐにその人と結び付けるのもどうかと思いますが、紙の人型に息を吹きかけて厄を仮託するように、人を人に仮託してコントロールする方法は陰陽道の技術の中に存在します。能などは元々そういう役割の芸能だったはずです。このドラマの場合、有希子さんをそのように使った可能性は極めて高いと思われます。

※私は岡田有希子さんも相当な霊能者であったと見ています。そうでないと、最強クラスの霊能者を仮託される役割に耐えられないと考えられるからです。  2018/11/06 (Tue) 11:38 | URL | 編集 | 返信 …転載ここまで>

参考:1661.岡田有希子さんは殺されたのではないか? PART1:転載引用
2018/11/07 (Wed) 13:54 | URL | 編集 | 返信
※…中略…
日〇土さんの知人女性のエピソードに"極みつきは、彼女(日〇土さんの知人女性)とお店に入ると、どんな時間、どんなお店でも30分ほどで満席になるという光景を実際に目撃された"というエピソードに僕ははたと思い当たることがあります。

僕は様々なジャンルの記事や動画をネット検索して閲覧すること(ネットサーフィン)を趣味にしていますが、この記事のコメント欄にコメントする数日前(11月3日、4日ですね。)、仕事休みでいつものようにネットサーフィンしていました。その時閲覧した数々の記事の中に、とある女性ブロガーさんの記事で「私がお店に入ると、30分もしないうちにすぐに満席になる」と日〇土さんのコメントのエピソードとまったく同じようなことを書かれている記事を閲覧したことを日〇土さんのコメントを読んで思い出しました。(本当に偶然ですが、日〇土さんのコメントを読ませていただいた時に、思わず「えっ(笑)、マジで!??www」と吹き出したくらいまったく同一のことを記事で書かれていた女性ブロガーさんの記事を思い出しました。)

数日前、その女性ブロガーさんのブログ記事を読んだ時、「世の中そういう人もいるよね~」とさして気にすることもなかったこともあり、記事をブックマークするなどをしていません。[数日間で様々な記事を閲覧したため、該当する記事を探し出せていませんが、記憶を辿る限りでは、その女性ブロガーさんはアメーバブログを利用されていて、現時点ではこの人だったかな~という目星をつけているブログがいくつかある感じです。(^_^;)]

日〇土さんにお聞き致します。日〇土さんの知人女性(「マリコ」のモデルであろう女性)は「禁じられたマリコ」の通り、名前は「マリコ」さんですか?? その知人女性はSNSを利用されていますか? ご返事いただけるとありがたいです。

「禁じられたマリコ」について、気になった点がありまして、第一話で幼少期の主人公の麻里子が父親と黒服を着た追っ手(組織?)から逃れるため、森の中を駆け抜け逃げるシーンがあります。結果的に麻里子の父親は森の中で射殺されてしまいますが、僕はこのシーンを観た時、『高天原山に不時着した日航機123便の乗客(父親と幼いわが子の親子の二人の乗客、あるいは男性乗客と幼い乗客)が証拠隠滅のために高天原山に来た暗殺部隊から逃れるため高天原山中の森の中を必死に逃げ回る途中に見つかってしまい射殺される場面、あるいは上官の命令を無視して高天原山に入った自衛隊員が、少女(の乗客)を救出して逃れる途中に暗殺部隊に射殺される場面』を描いているように思いました。2018/11/07 (Wed) 13:54 | URL | 編集 | 返信…転載ここまで>
 ※一部名前の部分は省略しています。ご了承ください。
参考:1661.岡田有希子さんは殺されたのではないか? PART1:転載引用

※このように何気ない日常の中にも、"超能力"を持っている人たちがひっそりと暮らしています。 


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真田太平記と岡田有希子

【真田太平記】…NHK総合テレビの「新大型時代劇」枠で1985年(昭和60年)から
1986年(昭和61年)に放送された連続テレビドラマ。「新大型時代劇」の第2作。
放送期間は1985年(昭和60年)4月3日ー1986年(昭和61年)3月19日。全45話。
放送時間:毎週水曜日 20:00~20:45放送 全45話

原作:池波正太郎 脚本:金子成人 音楽:林光 
制作:日本放送協会(NHK総合テレビ)(出典:Wikipedia)

主な出演…【真田家】
   真田信之 -主人公・真田幸村の兄 (渡瀬恒彦)   真田幸村-真田信之の弟(草刈正雄)
   真田昌幸-真田家当主。信之、幸村の父(丹波哲郎) 
   山手殿-昌幸の正室(小山明子) 
   お徳-昌幸の側室・於菊の母(坂口良子)   小松殿-信之の正室(紺野美沙子) 
   久野-山手殿の妹(香野百合子) 於利世-幸村の正室(中村久美)
   於菊-昌幸の娘(岡田有希子)   お江-真田家くノ一(遙くらら)
    壺谷又五郎-真田方の忍びの頭領(夏八木勲)  向井佐助-真田家忍び(中村橋之助)
   樋口角兵衛- 幸村の従弟(榎木孝明) 滝川三九郎(三浦浩一)
【徳川家】
       徳川家康-征夷大将軍(中村梅之助)  徳川秀忠-家康の子・長兄(中村梅雀)
   本田忠勝-家康の側近(加藤武) 
【豊臣家】
        豊臣秀吉-太閤(長門裕之) 豊臣秀頼(円谷浩)淀君(岡田江梨子) 千姫(工藤夕貴) 
   石田三成-秀吉の側近(清水紘治) 加藤清正-主計頭(竜雷太) …他

【あらすじ】…原作は池波正太郎の同名小説。1974年(昭和49年)から1982年(昭和57年)にかけて「週刊朝日」に連載された。
池波の「真田もの」の集大成と言われる。真田家の面々や配下の忍者などの活躍を詳細に描き、戦国時代の史実と創作を巧みに織り交ぜた長大な作品である。
甲州・信州などに覇を唱えた武田氏傘下の豪族だった真田昌幸。武田家が滅び、真田家は信州の小大名としての道を歩みはじめる。天下統一目前と思われた織田信長の横死後、大大名らの草刈場となった信州で、昌幸と長男の源三郎信幸(のち信之)、次男の源二郎信繁(幸村)らは、真田忍びらによる卓越した情報収集と謀略によって激しい戦国乱世を生き抜いていく。天下統一を成し遂げた豊臣秀吉の死後、関が原、大坂冬の陣・夏の陣で親子兄弟が敵味方となるも、江戸幕府の治世下に家名を残すことに成功する。しかし、真田家と真田忍びに煮え湯を飲まされ続けた幕府と甲賀衆は、なおも真田家取り潰しを策謀する。唯一の生き残りとなった信之は真田家の存続を図る。

【雑誌・単行本】
単行本は、1974年から1983年にかけて朝日新聞社から全16巻で刊行された。1985年のドラマ化にあわせ同社から出た「新装版」は全18巻。1987年から翌年かけて刊行された新潮文庫版は全12巻。1999年の『完本 池波正太郎大成』(講談社)版では全3巻。

【テレビドラマ】
1985年に、NHK新大型時代劇『真田太平記』としてテレビドラマ化された。主人公・真田信之には渡瀬恒彦が起用された。
詳細は「真田太平記_(テレビドラマ)」を参照
・『真田太平記』あらすじ…主人公である真田信之役は渡瀬恒彦さん。信之のヒロイン正室に紺野美沙子さんが起用された。
信之の正室・小松殿は、本多忠勝の娘である。徳川家康の養女となり、真田信之の正室として嫁ぐよう家康に命じられるが、娘(小松殿)の気に入った婿でないと嫁がせたくないという忠勝の意向もあって、複数の相手と見合いをする。扇子で相手のあごを持ち上げ品定めするも顔を見ていった、稲姫であったが、信之には「武士の顔をなんと心得る。このような礼儀知らず、本多平八郎様の娘とは思えませぬ」と咎められる。この言葉を聞いた稲姫は、誇り高く阿らない態度が稲姫の心をつかみ信之と結婚することとなる。

『大河ドラマ真田丸』の序盤を見て(3)真田太平記と女性陣の違い(『真田丸』を見て50) - カメラを棒に付けたら (fc2.com):引用元>

【コミック】
2015年12月より週刊朝日増刊号としてコミック版が雑誌形式で定期的に発刊されている。作画は細川忠孝。2016年2月より朝日新聞出版から単行本も発刊される。2019年9月発売のvol.18「新しき時代編」にて完結。(出典:wikipedia転載)

【真田太平記と岡田有希子】
・『真田太平記』17話、19話、23話、24話、28話
(1985年4月3日 - 1986年3月19日、 NHK総合、「NHK新大型時代劇」) - 於菊 役(出典:Wikipedia転載)
 ・岡田有希子演じる於菊 役とは…       
【於菊ー岡田有希子】
            【 於菊ー岡田有希子:画像Twitter.com】
【於菊ー岡田有希子】
            演: 西田有里→岡田有希子 
真田昌幸の娘(岡田有希子)。側室のお徳(坂口良子)の子であるが、名胡桃城の戦いの後山手殿(小山明子)に育てられる。母譲りの天真爛漫な性格。昌幸(丹波哲郎)が溺愛しており、石田三成(清水鉱治)より義弟の宇田頼忠への縁談があった時は、手放したくないためうやむやにしてしまった。関ヶ原の戦いの後、真田家の行く末が不透明なことを案じた昌幸により滝川三九郎(三浦浩一)に預けられ諸国を旅する。後に三九郎と結婚する。

★新大型時代劇「真田太平記」(NHK総合)。時代劇に初出演となる岡田有希子にとって女優の第一歩と言える出演である。役柄の於菊としてのシーンは短いものだが重要な役を演じている。
これを機会に、月曜ドラマランド[フジテレビ系]-かぐや姫 とんで初体験⁉や、「禁じられたマリコ」‐TBS系(東宝)へと女優の道を歩んで行く。しかし、4月8日による投身自殺?でこの世を去ることに。女優の道が期待されただけあって悔やまれる!!



YouTube動画:真田太平記17話-揺らぐ夏  岡田有希子(幼女編)1985年7月31日放送
 あらすじ…
唱幸(丹波哲郎)とお徳(坂口良子)の間に生まれた於菊(岡田有希子)は14歳になっている。
今、この上田城でのびのびと育っていた!!
(https://youtu.be/rGHR-syVFbg:引用元)
(https://www.nicovideo.jp/watch/sm27098170:ニコニコ動画引用)



YouTube動画:真田太平記19話-春の嵐  岡田有希子 (小女編)1985年8月28日放送
あらすじ…
久しぶりに、実家に帰って来た兄上(草刈正雄)に再会する於菊(岡田有希子)!
(https://youtu.be/zhqkK0WOcfI:引用元)
(https://www.nicovideo.jp/watch/sm27098555:ニコニコ動画引用)


YouTube動画:真田太平記23話-故郷敵地(1)岡田有希子(少女編)1985年9月25日放送
 あらすじ…
 短いシーンではあるが、父上(丹波哲郎)との会話を嬉しそうに話す於菊(岡田有希子)!
(https://youtu.be/qU1h30n1QoI:引用元)
(https://www.nicovideo.jp/watch/sm27102550:ニコニコ動画引用)



YouTube動画:真田太平記23話-故郷敵地(2) 岡田有希子(少女編)1985年9月25日放送
 あらすじ…
この回も短いシーン。嬉しそうに歌いながらてまりを放つ於菊(岡田有希子)。その姿を見守るように父唱幸(丹波哲郎)が見つめる。於菊が嬉しそうに父唱幸と会話をする場面。
(https://youtu.be/ENuI0oGwE9U:引用元)
(https://www.nicovideo.jp/watch/sm27102645:ニコニコ動画引用)


YouTube動画:真田太平記23話-故郷敵地 (3)  岡田有希子 (少女編)1985年9月25日放送
 あらすじ…
母上(小山明子)と伯母上(香野百合子)に戦をしないようにする為、父上(丹波哲郎)に、城を明け渡すよう嘆願することを提案する於菊(岡田有希子)。
(https://youtu.be/WHrG3XIn6H8:引用元)



YouTube動画:真田太平記24話-激闘上田城(1)岡田有希子(少女編)1985年10月2日
あらすじ…
沼田の兄上様(渡瀬恒彦)が戦の中、兄上様のいる方角に於菊(岡田有希子)が 叫んでいるシーンです。
(https://www.nicovideo.jp/watch/sm27110960:ニコニコ動画引用)



 YouTube動画:真田太平記24話-激闘上田城(2)岡田有希子(少女編)1985年10月2日放送
あらすじ…
於菊(岡田有希子)が初恋というか、ひとめぼれしてしまう男性(三九郎)が現れ、後に二人は諸国を共に生涯の伴侶となり結婚する。(於菊と三九郎)
(https://youtu.be/c9RLQLpruLs:引用元)
(https://www.nicovideo.jp/watch/sm27115078:ニコニコ動画引用)
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YouTube動画:真田太平記28話-さらば上田城 岡田有希子(人妻編)1985年10月30日放送
あらすじ…
自分たちが、結婚したことを一番上の兄上(渡瀬恒彦)に報告を言いに来た三九郎(三浦浩一)於菊(岡田有希子)夫妻。
https://youtu.be/uhlPiecu1l0:引用元)
https://www.nicovideo.jp/watch/sm27122633:ニコニコ動画引用)

【於菊(岡田有希子)と三九郎(三浦浩一)】
             【於菊(岡田有希子)と三九郎(三浦浩一)】


  岡田有希子 /『Summer Beach』【かぐや姫】ーザ・ベストテン
   (月曜ドラマランド[フジテレビ系]-かぐや姫とんで初体験⁉)
  歌手:岡田有希子 作詞/作曲:尾崎亜美  編曲:松任谷正隆
  (https://youtu.be/VNcoBHrVdhc:youtubu引用)

★月曜ドラマランド-かぐや姫とんで初体験⁉調布・日活撮影所での収録の合間に、 ザ・ベストテンの生中継放送で歌った『Summer Beach』。ランキング8位!!

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浦島太郎と乙姫・佳代と乙姫(有希子)

【浦島太郎】…[まんが日本昔ばなし・あらすじ]…浦島太郎という漁師が年老いたおっかさんと二人で暮らしていた。
ある日、浜辺で子ども達が一匹の子ガメをつつきまわしているのを見たので、助けて海へ逃がしてやった。数年後太郎が海で釣りをしていると、大きな亀がやってきて、昔助けてくれたお礼にと海の中の竜宮へと連れて行かれた。竜宮では美しい乙姫さまに歓迎され、魚たちの踊りや、素敵なご馳走でもてなされ、楽しい毎日を過ごした。しかし、何日か経つと太郎は村に残してきたおっかさんのことが気になって、だんだん元気がなくなってきた。それを察した乙姫様は「村に帰って、もし困ったことがあったら、この玉手箱を開けなさい。それまでは決して玉手箱を開けてはいけません。」と言って、太郎を送り出した。太郎が亀の背に乗って村に帰ると、自分の家はおろか村の様子がすっかり変わっていて、太郎の知っている人が一人もいなくなっていた。太郎が竜宮で過ごしているうちに、地上では何十年も経っていたのだった。困った太郎は、乙姫さまに貰った玉手箱のことを思い出した。乙姫さまが決して玉手箱を開けては行けません、と言った玉手箱の蓋を開けると、中から白い煙がもくもくと出て、たちまち太郎は白いひげのお爺さんになってしまった。
◎放送日:1975年3月25日(昭和50年)

[福娘童話集より浦島太郎]…むかしむかし、ある村に、心のやさしい浦島太郎という若者がいました。浦島さんが海辺を通りかかると、子どもたちが大きなカメをつかまえていました。そばによって見てみると、子どもたちがみんなでカメをいじめています。
「おやおや、かわいそうに、はなしておやりよ」「いやだよ。おらたちが、やっとつかまえたんだもの」見るとカメは涙をハラハラとこぼしながら、浦島さんを見つめています。浦島さんはお金を取り出すと、子どもたちに差し出して言いました。「それでは、このお金をあげるから、おじさんにカメを売っておくれ」「うん、それならいいよ」浦島さんは、子どもたちからカメを受け取ると、「もう、つかまるんじゃないよ」と、カメをそっと、海の中へ逃がしてやりました。さて、それから二、三日たったある日、浦島さんが海に出かけて魚をつっていると、「浦島さん、・・・浦島さん」と、だれかが呼ぶ声がします。「おや? だれが呼んでいるのだろう?」「わたしですよ」すると海の上に、ひょっこりとカメが頭を出して言いました。「このあいだは、ありがとうございました」「ああ、あのときのカメさんかい」「はい、おかげで命が助かりました。ところで浦島さんは、竜宮城へ行ったことがありますか?」「竜宮? さあ? 竜宮って、どこにあるんだい?」「海の底です」「えっ? 海の底へなんか、行けるのかい?」「はい。わたしがお連れしましょう。さあ、背中へ乗ってください」カメは浦島さんを背中に乗せて、海の中をずんずんともぐっていきました。まっ青な光の中で、コンブがユラユラ。赤やピンクのサンゴの林が、どこまでも続いています。「わあ、きれいだな」浦島さんがウットリしていると、やがて立派なご殿へつきました。「着きましたよ。このご殿が竜宮です。さあ、こちらへ」カメに案内されるまま進んでいくと、この竜宮の主人の美しい乙姫さまが、色とりどりの魚たちと一緒に浦島さんを出迎えてくれました。
「ようこそ、浦島さん。わたしは、この竜宮の主人の乙姫です。このあいだはカメを助けてくださって、ありがとうございます。
お礼に、竜宮をご案内します。どうぞ、ゆっくりしていってくださいね」浦島さんは、竜宮の広間ヘ案内されました。浦島さんはが用意された席に座ると、魚たちが次から次へと、見たことがないようなごちそうを運んできます。ふんわりと気持ちのよい音楽が流れて、タイやヒラメやクラゲたちの、みごとな踊りが続きます。ここはまるで、天国のようです。そして、「もう一日、もう一日」と、乙姫さまにいわれるまま竜宮ですごすうちに、三年の月日がたってしまいました。浦島さんは、はっと思い出しました。(家族や友だちは、どうしているだろう?)そこで浦島さんは、乙姫さまに言いました。「乙姫さま、いままでありがとうございます。ですが、もうそろそろ、家へ帰らせていただきます」「帰られるのですか? よければ、このままここで暮しては」「いいえ、わたしの帰りを待つ者もおりますので」すると乙姫さまは、さびしそうに言いました。「・・・そうですか。それはおなごりおしいです。では、おみやげに玉手箱を差し上げましょう」「玉手箱?」「はい。この中には、浦島さんが竜宮で過ごされた『時』が入っております。これを開けずに持っている限り、浦島さんは年を取りません。ずーっと、今の若い姿のままでいられます。ですが開けてしまうと、『時』がもどってしまいますので、決して開けてはなりませんよ」「はい、わかりました。ありがとうございます」
 乙姫さまと別れた浦島さんは、またカメに送られて地上へ帰りました。地上にもどった浦島さんは、まわりを見回してびっくり。
「おや? わずか三年で、ずいぶんと様子がかわったな。」たしかにここは、浦島さんがつりをしていた場所なのですが、なんだか様子がちがいます。浦島さんの家は、どこにも見あたりませんし、出会う人も知らない人ばかりです。
「わたしの家は、どうなったのだろう? みんなはどこかへ、引っ越したのだろうか? ・・・あの、すみません。浦島の家を知りませんか?」浦島さんが一人の老人にたずねてみると、老人は少し首をかしげて言いました。
「浦島? ・・・ああ、たしか浦島という人なら、七百年ほど前に海へ出たきりで、帰らないそうですよ」「えっ!?」
 老人の話しを聞いて、浦島さんはびっくり。竜宮の三年は、この世の七百年にあたるのでしょうか?
「家族も友だちも、みんな死んでしまったのか・・・」
 がっくりと肩を落とした浦島さんは、ふと、持っていた玉手箱を見つめました。そういえば、乙姫さまは言っていたな。この玉手箱を開けると、『時』がもどってしまうと。・・・もしかしてこれを開けると、自分が暮らしていた時に戻るのでは」
 そう思った浦島さんは、開けてはいけないと言われていた玉手箱を開けてしまいました。
モクモクモク・・・。すると中から、まっ白のけむりが出てきました。「おおっ、これは。」けむりの中に、竜宮や美しい乙姫さまの姿がうつりました。そして楽しかった竜宮での三年が、次から次へとうつし出されます。
「ああ、わたしは、竜宮へ戻ってきたんだ」浦島さんは喜びました。
 でも、玉手箱から出てきたけむりは次第に薄れていき、その場に残ったのは、髪の毛もひげもまっ白の、ヨボヨボのおじいさんになった浦島さんだけでした。
(福娘童話集:http://hukumusume.com/douwa/betu/jap/07/01.htmより転載)

※浦島太郎あらすじの見解…昔から言い伝えとして伝説といわれてきた「浦島太郎」の物語。皆さん方は、物語の内容は知っているようであまり知らない人も多いようです。今回、まんが日本昔ばなしと、福娘童話集より浦島太郎のあらすじ、2本掲載しました。亀がいじめられるところを浦島太郎が助けて、そのお礼に亀が竜宮城へ案内し、乙姫様と出会う。数日後、故郷が気になり乙姫様に別れを告げると同時に手土産に玉手箱をもらう。故郷に帰った浦島太郎が乙姫様の忠告を破り玉手箱をあけてしまったために白髪の爺さんになってしまうという点では共通する。まんが日本昔ばなしの方はあらすじてきに短め、一方、福娘童話集より浦島太郎のあらすじは、まんが日本昔ばなしより長いあらすじとなり、竜宮城や乙姫様の様子などが事細かく表現されている。このように、浦島太郎の物語も原作者によって違ってくる。皆さんはどうだろうか?…次に、浦島太郎の歌だが、浦島太郎の歌は5番まである。歌の内容をみれば、浦島太郎のあらすじがわかる。

【浦島太郎の歌】…1:昔むかし、浦島は、助けた亀に連れられて、竜宮城へ来てみたら、絵にも描けない美しさ。
2:乙姫さまのご馳走に、鯛やヒラメの舞い踊り、ただ珍しく面白く、月日の経つのも夢のうち。
3:遊びにあきて、気がついて、おいとまごいも、そこそこに、帰る途中の楽しみは、みやげにもらった玉手箱。
4:帰って見れば、こはいかに、元居た家も村も無く、みちに行きあう人々は、顔も知らない、者ばかり。
5:心細さに蓋取れば、あけて悔しき玉手箱、中からぱっと白煙、たちまち太郎はお爺さん。
(浦島太郎:http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/urashima.html:参照)
浦島太郎の伝説は、全国各地に残されている。神奈川県、長野県。中でも、京都府の北部丹後半島、伊根町と細野町「丹後国風土記(たんごふうどき)」にもとづいた浦島太郎の伝説だ。

【青森県浦島地区と浦島伝説】…青森県内には、日本海側中心に「亀」という地名を持つ場所が32ヶ所あり、陸奥湾に面した入り江の一番周辺はそのままずばり「浦島」という地名である。陸奥湾を見下ろす山の中に、龍神様とともに浦島太郎が祀られているという話しや、浦島伝説が古くから残っている祠(ほこら)の存在が明らかになった。その祠は、八大龍神宮にあるという。地元では「浦島神社」と呼ばれ、海上に浮かぶ「亀島」とともに、昔から「亀信仰」を受け継いできた。

【各地で祀られる聖人・うらしまこ】…浦島太郎の物語では、「海岸で亀を助けた浦島太郎は、その恩返しに海の中にそびえたつ竜宮城に案内された」とされる。物語に登場する竜宮城は、海神が住むとされている海底の宮殿のことだ。浦島太郎の物語は、竜宮城の伝説と常にセットである。浦島太郎を祀るとされる浦島神社は、全国に点在し、北は北海道の湧別町から南は沖縄、与那原町まで日本全国40か所余りもある。その中でも起源が最も古いとされている神社が、京都府伊根町にある浦嶋神社である。そこには、「浦嶋明神縁起」という、14世紀前半に描かれた国の重要文化財にも指定されている貴重な絵巻物が厳重に保管されている。その絵巻には、豪華絢爛な竜宮城や浦島太郎と乙姫の暮らしぶりが描かれており、物語の結末が事細かに遺されている。浦嶋神社の宮司が、驚きの真実を語ってくれた。なんと、「浦島太郎はこの京都に実在した人物なのです」というのだ。浦島の話は、8世紀の「日本書紀」「丹後国風土記」に登場するのが最も古い。それには浦島太郎は「浦嶋子(うらしまこ)」、竜宮城は「蓬葉山(とこよのくに)」、玉手箱は「玉匣(たまくしげ=化粧箱)」と記されている。『丹後国風土記』の逸文に描かれているあらすじは、現在に伝わる浦島太郎の昔話とほぼ同じである。8世紀に書かれた浦島物語は、7世紀末の日本の文人、伊預部馬養(いよべのうまかい)による創作と考える研究者がいる一方、実在の人物の実体験に基づく伝説だと主張する学者もいる。さらに数々の資料を読み解くと、多くの古文書で浦島太郎と思われる人物の名前が記されていることがわかった。その描写はどれもが一致していて、浦島太郎の実在の証として、「本名」そして「出生の地」まで記されているのだ。『日本書紀』『丹後風土記』『万葉集』のどれもが、漢字こそ違えど読みはすべて「みずのえのうらしまこ」と記している。出生の地についてもすべての史料で丹波国余社郡(よさのこおり)と一致している。そこは、現在の京都府与謝郡伊根町であり、浦嶋神社の所在地だ。うらのしまこ(浦島太郎)が生きた世は、雄略天皇統治の時代。大勢力となっていった大和王権の武力と宋からの先進文明の輸入をもって天皇独裁政治が確立した時代といわれている。そんな時代に漁師を生業としていた浦島太郎は、伊根町付近の日本海側から自分の舟を出し、漁をしていたのだ。次に竜宮城の場所だが、場所を特定するには浦島太郎の足跡を追う必要がある。浦島太郎が海上で向かった「方角」、舟の「速度」、そして城に辿り着くまでの「時間」。まず「時間」の謎解析『御伽草子』を紐解くと、「浦島太郎は10日あまり海を進んで金と銀の御殿に到着」とあり、これが竜宮城だとすると到着するまでにかかった時間は10日間ということになる。次に「方角」。『日本書紀』によると太郎が舟を出したのは西暦で478年の8月とある。京都府伊根町付近の夏の潮の流れを、海上保安庁のデータをもとに調査した結果、その平均時速や方角が判明した。日本海の潮の流れは北東に動く。方角は北東だ。浦島太郎を乗せた小船は対馬海流の影響を強く受けた潮の流れに沿って、日本海沿岸を北上したとかんがえられる。最後は「速度」。当時の舟で潮の流れに乗ったとして、1時間にどれだけの速度で進めるのか?海上自衛隊の幹部に取材したところ、当時の舟の形状、手漕ぎであることなどを考慮し、「舟に慣れているとすると、1時間に3ノットから4ノットでこぐことが可能」との回答を得た。つまり、潮の流れを考慮すると1日およそ60キロ~70キロの移動が可能だ。太郎は日本海上を1日60キロから70キロ北上し、10日間かけて竜宮城に到着したことになる。この「時間」「方角」「速度」のデータを統合し、竜宮城の正確な位置を導き出すと、やはりというべきか、青森県の日本海沿岸となる。過去に謎の巨大海底遺跡を調査した沖合と、浦島太郎が辿り着いたと推定できる場所が一致したのである。浦島太郎と巨大海底遺跡が結びついた。
…<2015年 8月No.417 ムーより転載=文:新村幸三郎>…

【佳代と乙姫】…小学校6年生の学芸会の時に「浦島太郎」の乙姫役を佳代が熱演した。佳代の乙姫様は評判が良く、当時の校長先生が走って見に来るほどの乙姫様を演じた!!音楽劇「浦島太郎」は、みんなでの合唱でも、ひときわ佳代の歌声がさわやかに響きわたる。この頃から、芸能界の素質があったのだろう。歌に、演技と…
【小学6年生・学芸会:音楽劇「浦島太郎」の乙姫(佳代)】【小学6年生・学芸会:音楽劇「浦島太郎」の乙姫(佳代)】
画像:http://x24.peps.jp/yukiko19841986/subtop/?cn=199:参照

【佐藤佳代(岡田有希子)の文集による乙姫様】…「ああ…失敗したらどうしよう?」舞台の幕の後で、手足がふるえるのを感じながら、祈るような気持ちでいるうちに幕が開いた。歌をうたいながら舞台に進んでいき王座についた。照明がまぶしく、みんなの視線がいっせいに舞台へ集まってくるようで顔がほてってくる。せりふを言うたびにドキドキして言いおわるとホッとする。
乙姫の独唱になり高ぶる気持ちをおさえて歌った。三幕めがおわり、はなやかなフィナーレ。
六年生の音楽劇は、終了した。それが私にとって、この六年生で一番心に残っていることである。
永遠のアイドル岡田有希子さんの紹介~ユッコのページ~より転載>

◎「浦島太郎」の記事をかくにあたり、故・岡田有希子さんは夢で私に語りました。…ファンの皆さん方は、私(岡田有希子)の事を書いてくれるのはありがたいのですが、「浦島太郎」のことはあまりくわしくかいてくれないと?…皆さんは、私が学芸会で「浦島太郎」の相手役乙姫様役を演じたことだけはさらりと書いていることが多いので、「浦島太郎」の内容も書いてほしかった…そして、「浦島太郎」の相手役乙姫様役を演じた私(佳代&有希子)の事を書いて下さる方に…と私に話しかけられました。なので、私が岡田有希子さんに変わって「浦島太郎」の物語と、謎の部分を書かせていただいたわけです。これは、冗談でなく、向こうからの「メッセージ」です。知人にも確認したら書いてもらいたいと言ったそうです。私も、うまくは書けていないですが、岡田有希子さんが演じた乙姫様を想像しながら、記事を書かせていただきました。
【浦島之子帰国従龍宮城】
             【浦島之子帰国従龍宮城】
             <歌川芳年による。1886年>
【京都府与謝野郡の浦嶋神社・宇良神社】             【京都府与謝野郡の浦嶋神社・宇良神社】
             <筒川大明神として祀っている>


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「かぐや姫」のモデルは「聖母マリア」・かぐや姫とんで初体験!?

【かぐや姫と聖母マリアの共通点】
◎日本の昔話に「竹取物語」という話しがある。実は以外と「かぐや姫」「聖母マリア」には、共通点が多い事に驚く。まずは「竹取物語」だが、あらすじとしては、たくさんの男性からプロポーズされるのだが、すべて断って独身を通した。そして、最後は満月の日に天に昇ってしまう。この日付が8月15日。一方、「聖母マリア」だが男性との介入はなく単身であったマリアは聖霊によって神の子(イエス・キリスト)を宿す。後にマリアにはダビデの末裔であるヨセフ大天使ガブリエルの導きにより結婚することとなる。マリアの最後は大天使ミカエルとイエス12使徒に囲まれ魂と肉体は天使たちにより天へと「被昇天」していく。この被昇天の日付も8月15日と共通している。。ペルシャでは聖母マリアのことを「光り輝く姫」と呼んでいた。そのネストリウスのキリスト教は中国に入り「景教」と呼ばれていましたが、「景」という字は「光り輝く」という意味です。これが東に移っていく途中、ペルシャ辺りで、マリア様が天にあげられた8月15日に、亡くなった人々を天国に連れて行ってもらおうと死者の霊魂を一つの灯りに託して川に流す事が行われました。それは日本まで入ってきて、9世紀、弘法大師「空海」が中国(当時は唐)に渡り、景教のお寺でも学んでいた。一説に空海あたりがマリア様の被昇天を天にあげられたということを日本流に伝えるためにそれが末永く語り継がれるように、「かぐや姫」という物語を創作したのではないかと思う。かぐや姫は、何百年に渡って語り継がれてきました。実は、そこに聖母の被昇天への信仰が込められていたのです。先祖の人々は、かぐや姫が聖母とは知らずに話しの中にそれをしっかり刻み込んで伝えてきました。聖母への憧れは形を変え日本で生き続けてきたのです。もう一度「竹取物語」を呼んでみてください。聖母マリアがちりばめられているのに気づくはずです。…
  (ちゅう太郎のブログ転載http://tyutaro.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-82ec.html)

【月曜ドラマランドーかぐや姫 とんで初体験!?】…
昭和60年(1985年7月1日)フジテレビ系、単発ドラマ。
岡田有希子の単発ドラマ初主演である。

あらすじ…シールズ星で両親(寺田農、大信田礼子)がいつもケンカばかり。それを見ていた、シールズ星の少女ミル(岡田有希子)は、嫌気が募り思い切って、家出をすることを決意する。部屋にあった本(かぐや姫)を読んで未知なる星地球へと出発する。
かぐや姫の姿(十二単依)となって地球に到着するが、次元を間違えて、現代(当時)の東京・原宿へタイムスリップ。スケバングループに囲まれながらも、かぐや姫(十二単依)姿から、「ひなこ」と名乗りさやか(河合美智子)と学(北川豪)と出会う。友達になったさやかのもとに居候させてもらい大騒動を起こす。次第に地球人の学を好きになる「ひなこ」だが、さやかが学の事を好きだと告白されると気持ちを察した「ひなこ」は別れが近づいたことを悟る。そして、学校の屋上からまばゆい光に包まれてシールズ星へ…


​​​​かぐや姫とんで初体験⁉


…有希子の演じた「かぐや姫 とんで初体験!?」は彼女自身の人生にも類似しているところがある。新人賞で受賞をしていた頃の有希子は一番輝いていた。老若男女からも愛されて。歌やドラマと…
彗星のごとく現れた彼女。周りを和ませる妖精や天使のような存在を感じさせる。
そして、この地球(三次元世界)に別れを告げ去っていく…

(参照:「かぐや姫 とんで初体験!?」ダイジェストhttp://youtu.be/ty1NnbZhohIユーチューブより引用)

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