2020/11/21
浦島太郎と乙姫・佳代と乙姫(有希子)
【浦島太郎】…[まんが日本昔ばなし・あらすじ]…浦島太郎という漁師が年老いたおっかさんと二人で暮らしていた。ある日、浜辺で子ども達が一匹の子ガメをつつきまわしているのを見たので、助けて海へ逃がしてやった。数年後太郎が海で釣りをしていると、大きな亀がやってきて、昔助けてくれたお礼にと海の中の竜宮へと連れて行かれた。竜宮では美しい乙姫さまに歓迎され、魚たちの踊りや、素敵なご馳走でもてなされ、楽しい毎日を過ごした。しかし、何日か経つと太郎は村に残してきたおっかさんのことが気になって、だんだん元気がなくなってきた。それを察した乙姫様は「村に帰って、もし困ったことがあったら、この玉手箱を開けなさい。それまでは決して玉手箱を開けてはいけません。」と言って、太郎を送り出した。太郎が亀の背に乗って村に帰ると、自分の家はおろか村の様子がすっかり変わっていて、太郎の知っている人が一人もいなくなっていた。太郎が竜宮で過ごしているうちに、地上では何十年も経っていたのだった。困った太郎は、乙姫さまに貰った玉手箱のことを思い出した。乙姫さまが決して玉手箱を開けては行けません、と言った玉手箱の蓋を開けると、中から白い煙がもくもくと出て、たちまち太郎は白いひげのお爺さんになってしまった。
◎放送日:1975年3月25日(昭和50年)
[福娘童話集より浦島太郎]…むかしむかし、ある村に、心のやさしい浦島太郎という若者がいました。浦島さんが海辺を通りかかると、子どもたちが大きなカメをつかまえていました。そばによって見てみると、子どもたちがみんなでカメをいじめています。
「おやおや、かわいそうに、はなしておやりよ」「いやだよ。おらたちが、やっとつかまえたんだもの」見るとカメは涙をハラハラとこぼしながら、浦島さんを見つめています。浦島さんはお金を取り出すと、子どもたちに差し出して言いました。「それでは、このお金をあげるから、おじさんにカメを売っておくれ」「うん、それならいいよ」浦島さんは、子どもたちからカメを受け取ると、「もう、つかまるんじゃないよ」と、カメをそっと、海の中へ逃がしてやりました。さて、それから二、三日たったある日、浦島さんが海に出かけて魚をつっていると、「浦島さん、・・・浦島さん」と、だれかが呼ぶ声がします。「おや? だれが呼んでいるのだろう?」「わたしですよ」すると海の上に、ひょっこりとカメが頭を出して言いました。「このあいだは、ありがとうございました」「ああ、あのときのカメさんかい」「はい、おかげで命が助かりました。ところで浦島さんは、竜宮城へ行ったことがありますか?」「竜宮? さあ? 竜宮って、どこにあるんだい?」「海の底です」「えっ? 海の底へなんか、行けるのかい?」「はい。わたしがお連れしましょう。さあ、背中へ乗ってください」カメは浦島さんを背中に乗せて、海の中をずんずんともぐっていきました。まっ青な光の中で、コンブがユラユラ。赤やピンクのサンゴの林が、どこまでも続いています。「わあ、きれいだな」浦島さんがウットリしていると、やがて立派なご殿へつきました。「着きましたよ。このご殿が竜宮です。さあ、こちらへ」カメに案内されるまま進んでいくと、この竜宮の主人の美しい乙姫さまが、色とりどりの魚たちと一緒に浦島さんを出迎えてくれました。
「ようこそ、浦島さん。わたしは、この竜宮の主人の乙姫です。このあいだはカメを助けてくださって、ありがとうございます。
お礼に、竜宮をご案内します。どうぞ、ゆっくりしていってくださいね」浦島さんは、竜宮の広間ヘ案内されました。浦島さんはが用意された席に座ると、魚たちが次から次へと、見たことがないようなごちそうを運んできます。ふんわりと気持ちのよい音楽が流れて、タイやヒラメやクラゲたちの、みごとな踊りが続きます。ここはまるで、天国のようです。そして、「もう一日、もう一日」と、乙姫さまにいわれるまま竜宮ですごすうちに、三年の月日がたってしまいました。浦島さんは、はっと思い出しました。(家族や友だちは、どうしているだろう?)そこで浦島さんは、乙姫さまに言いました。「乙姫さま、いままでありがとうございます。ですが、もうそろそろ、家へ帰らせていただきます」「帰られるのですか? よければ、このままここで暮しては」「いいえ、わたしの帰りを待つ者もおりますので」すると乙姫さまは、さびしそうに言いました。「・・・そうですか。それはおなごりおしいです。では、おみやげに玉手箱を差し上げましょう」「玉手箱?」「はい。この中には、浦島さんが竜宮で過ごされた『時』が入っております。これを開けずに持っている限り、浦島さんは年を取りません。ずーっと、今の若い姿のままでいられます。ですが開けてしまうと、『時』がもどってしまいますので、決して開けてはなりませんよ」「はい、わかりました。ありがとうございます」
乙姫さまと別れた浦島さんは、またカメに送られて地上へ帰りました。地上にもどった浦島さんは、まわりを見回してびっくり。
「おや? わずか三年で、ずいぶんと様子がかわったな。」たしかにここは、浦島さんがつりをしていた場所なのですが、なんだか様子がちがいます。浦島さんの家は、どこにも見あたりませんし、出会う人も知らない人ばかりです。
「わたしの家は、どうなったのだろう? みんなはどこかへ、引っ越したのだろうか? ・・・あの、すみません。浦島の家を知りませんか?」浦島さんが一人の老人にたずねてみると、老人は少し首をかしげて言いました。
「浦島? ・・・ああ、たしか浦島という人なら、七百年ほど前に海へ出たきりで、帰らないそうですよ」「えっ!?」
老人の話しを聞いて、浦島さんはびっくり。竜宮の三年は、この世の七百年にあたるのでしょうか?
「家族も友だちも、みんな死んでしまったのか・・・」
がっくりと肩を落とした浦島さんは、ふと、持っていた玉手箱を見つめました。そういえば、乙姫さまは言っていたな。この玉手箱を開けると、『時』がもどってしまうと。・・・もしかしてこれを開けると、自分が暮らしていた時に戻るのでは」
そう思った浦島さんは、開けてはいけないと言われていた玉手箱を開けてしまいました。
モクモクモク・・・。すると中から、まっ白のけむりが出てきました。「おおっ、これは。」けむりの中に、竜宮や美しい乙姫さまの姿がうつりました。そして楽しかった竜宮での三年が、次から次へとうつし出されます。
「ああ、わたしは、竜宮へ戻ってきたんだ」浦島さんは喜びました。
でも、玉手箱から出てきたけむりは次第に薄れていき、その場に残ったのは、髪の毛もひげもまっ白の、ヨボヨボのおじいさんになった浦島さんだけでした。
(福娘童話集:http://hukumusume.com/douwa/betu/jap/07/01.htmより転載)
※浦島太郎あらすじの見解…昔から言い伝えとして伝説といわれてきた「浦島太郎」の物語。皆さん方は、物語の内容は知っているようであまり知らない人も多いようです。今回、まんが日本昔ばなしと、福娘童話集より浦島太郎のあらすじ、2本掲載しました。亀がいじめられるところを浦島太郎が助けて、そのお礼に亀が竜宮城へ案内し、乙姫様と出会う。数日後、故郷が気になり乙姫様に別れを告げると同時に手土産に玉手箱をもらう。故郷に帰った浦島太郎が乙姫様の忠告を破り玉手箱をあけてしまったために白髪の爺さんになってしまうという点では共通する。まんが日本昔ばなしの方はあらすじてきに短め、一方、福娘童話集より浦島太郎のあらすじは、まんが日本昔ばなしより長いあらすじとなり、竜宮城や乙姫様の様子などが事細かく表現されている。このように、浦島太郎の物語も原作者によって違ってくる。皆さんはどうだろうか?…次に、浦島太郎の歌だが、浦島太郎の歌は5番まである。歌の内容をみれば、浦島太郎のあらすじがわかる。
【浦島太郎の歌】…1:昔むかし、浦島は、助けた亀に連れられて、竜宮城へ来てみたら、絵にも描けない美しさ。
2:乙姫さまのご馳走に、鯛やヒラメの舞い踊り、ただ珍しく面白く、月日の経つのも夢のうち。
3:遊びにあきて、気がついて、おいとまごいも、そこそこに、帰る途中の楽しみは、みやげにもらった玉手箱。
4:帰って見れば、こはいかに、元居た家も村も無く、みちに行きあう人々は、顔も知らない、者ばかり。
5:心細さに蓋取れば、あけて悔しき玉手箱、中からぱっと白煙、たちまち太郎はお爺さん。
(浦島太郎:http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/urashima.html:参照)
浦島太郎の伝説は、全国各地に残されている。神奈川県、長野県。中でも、京都府の北部丹後半島、伊根町と細野町「丹後国風土記(たんごふうどき)」にもとづいた浦島太郎の伝説だ。
【青森県浦島地区と浦島伝説】…青森県内には、日本海側中心に「亀」という地名を持つ場所が32ヶ所あり、陸奥湾に面した入り江の一番周辺はそのままずばり「浦島」という地名である。陸奥湾を見下ろす山の中に、龍神様とともに浦島太郎が祀られているという話しや、浦島伝説が古くから残っている祠(ほこら)の存在が明らかになった。その祠は、八大龍神宮にあるという。地元では「浦島神社」と呼ばれ、海上に浮かぶ「亀島」とともに、昔から「亀信仰」を受け継いできた。
【各地で祀られる聖人・うらしまこ】…浦島太郎の物語では、「海岸で亀を助けた浦島太郎は、その恩返しに海の中にそびえたつ竜宮城に案内された」とされる。物語に登場する竜宮城は、海神が住むとされている海底の宮殿のことだ。浦島太郎の物語は、竜宮城の伝説と常にセットである。浦島太郎を祀るとされる浦島神社は、全国に点在し、北は北海道の湧別町から南は沖縄、与那原町まで日本全国40か所余りもある。その中でも起源が最も古いとされている神社が、京都府伊根町にある浦嶋神社である。そこには、「浦嶋明神縁起」という、14世紀前半に描かれた国の重要文化財にも指定されている貴重な絵巻物が厳重に保管されている。その絵巻には、豪華絢爛な竜宮城や浦島太郎と乙姫の暮らしぶりが描かれており、物語の結末が事細かに遺されている。浦嶋神社の宮司が、驚きの真実を語ってくれた。なんと、「浦島太郎はこの京都に実在した人物なのです」というのだ。浦島の話は、8世紀の「日本書紀」や「丹後国風土記」に登場するのが最も古い。それには浦島太郎は「浦嶋子(うらしまこ)」、竜宮城は「蓬葉山(とこよのくに)」、玉手箱は「玉匣(たまくしげ=化粧箱)」と記されている。『丹後国風土記』の逸文に描かれているあらすじは、現在に伝わる浦島太郎の昔話とほぼ同じである。8世紀に書かれた浦島物語は、7世紀末の日本の文人、伊預部馬養(いよべのうまかい)による創作と考える研究者がいる一方、実在の人物の実体験に基づく伝説だと主張する学者もいる。さらに数々の資料を読み解くと、多くの古文書で浦島太郎と思われる人物の名前が記されていることがわかった。その描写はどれもが一致していて、浦島太郎の実在の証として、「本名」そして「出生の地」まで記されているのだ。『日本書紀』『丹後風土記』『万葉集』のどれもが、漢字こそ違えど読みはすべて「みずのえのうらしまこ」と記している。出生の地についてもすべての史料で丹波国余社郡(よさのこおり)と一致している。そこは、現在の京都府与謝郡伊根町であり、浦嶋神社の所在地だ。うらのしまこ(浦島太郎)が生きた世は、雄略天皇統治の時代。大勢力となっていった大和王権の武力と宋からの先進文明の輸入をもって天皇独裁政治が確立した時代といわれている。そんな時代に漁師を生業としていた浦島太郎は、伊根町付近の日本海側から自分の舟を出し、漁をしていたのだ。次に竜宮城の場所だが、場所を特定するには浦島太郎の足跡を追う必要がある。浦島太郎が海上で向かった「方角」、舟の「速度」、そして城に辿り着くまでの「時間」。まず「時間」の謎解析。『御伽草子』を紐解くと、「浦島太郎は10日あまり海を進んで金と銀の御殿に到着」とあり、これが竜宮城だとすると到着するまでにかかった時間は10日間ということになる。次に「方角」。『日本書紀』によると太郎が舟を出したのは西暦で478年の8月とある。京都府伊根町付近の夏の潮の流れを、海上保安庁のデータをもとに調査した結果、その平均時速や方角が判明した。日本海の潮の流れは北東に動く。方角は北東だ。浦島太郎を乗せた小船は対馬海流の影響を強く受けた潮の流れに沿って、日本海沿岸を北上したとかんがえられる。最後は「速度」。当時の舟で潮の流れに乗ったとして、1時間にどれだけの速度で進めるのか?海上自衛隊の幹部に取材したところ、当時の舟の形状、手漕ぎであることなどを考慮し、「舟に慣れているとすると、1時間に3ノットから4ノットでこぐことが可能」との回答を得た。つまり、潮の流れを考慮すると1日およそ60キロ~70キロの移動が可能だ。太郎は日本海上を1日60キロから70キロ北上し、10日間かけて竜宮城に到着したことになる。この「時間」「方角」「速度」のデータを統合し、竜宮城の正確な位置を導き出すと、やはりというべきか、青森県の日本海沿岸となる。過去に謎の巨大海底遺跡を調査した沖合と、浦島太郎が辿り着いたと推定できる場所が一致したのである。浦島太郎と巨大海底遺跡が結びついた。
…<2015年 8月No.417 ムーより転載=文:新村幸三郎>…
【佳代と乙姫】…小学校6年生の学芸会の時に「浦島太郎」の乙姫役を佳代が熱演した。佳代の乙姫様は評判が良く、当時の校長先生が走って見に来るほどの乙姫様を演じた!!音楽劇「浦島太郎」は、みんなでの合唱でも、ひときわ佳代の歌声がさわやかに響きわたる。この頃から、芸能界の素質があったのだろう。歌に、演技と…

画像:http://x24.peps.jp/yukiko19841986/subtop/?cn=199:参照
【佐藤佳代(岡田有希子)の文集による乙姫様】…「ああ…失敗したらどうしよう?」舞台の幕の後で、手足がふるえるのを感じながら、祈るような気持ちでいるうちに幕が開いた。歌をうたいながら舞台に進んでいき王座についた。照明がまぶしく、みんなの視線がいっせいに舞台へ集まってくるようで顔がほてってくる。せりふを言うたびにドキドキして言いおわるとホッとする。
乙姫の独唱になり高ぶる気持ちをおさえて歌った。三幕めがおわり、はなやかなフィナーレ。
六年生の音楽劇は、終了した。それが私にとって、この六年生で一番心に残っていることである。
<永遠のアイドル岡田有希子さんの紹介~ユッコのページ~より転載>
◎「浦島太郎」の記事をかくにあたり、故・岡田有希子さんは夢で私に語りました。…ファンの皆さん方は、私(岡田有希子)の事を書いてくれるのはありがたいのですが、「浦島太郎」のことはあまりくわしくかいてくれないと?…皆さんは、私が学芸会で「浦島太郎」の相手役乙姫様役を演じたことだけはさらりと書いていることが多いので、「浦島太郎」の内容も書いてほしかった…そして、「浦島太郎」の相手役乙姫様役を演じた私(佳代&有希子)の事を書いて下さる方に…と私に話しかけられました。なので、私が岡田有希子さんに変わって「浦島太郎」の物語と、謎の部分を書かせていただいたわけです。これは、冗談でなく、向こうからの「メッセージ」です。知人にも確認したら書いてもらいたいと言ったそうです。私も、うまくは書けていないですが、岡田有希子さんが演じた乙姫様を想像しながら、記事を書かせていただきました。

【浦島之子帰国従龍宮城】
<歌川芳年による。1886年>

<筒川大明神として祀っている>

