fc2ブログ

浦島太郎と乙姫・佳代と乙姫(有希子)

【浦島太郎】…[まんが日本昔ばなし・あらすじ]…浦島太郎という漁師が年老いたおっかさんと二人で暮らしていた。
ある日、浜辺で子ども達が一匹の子ガメをつつきまわしているのを見たので、助けて海へ逃がしてやった。数年後太郎が海で釣りをしていると、大きな亀がやってきて、昔助けてくれたお礼にと海の中の竜宮へと連れて行かれた。竜宮では美しい乙姫さまに歓迎され、魚たちの踊りや、素敵なご馳走でもてなされ、楽しい毎日を過ごした。しかし、何日か経つと太郎は村に残してきたおっかさんのことが気になって、だんだん元気がなくなってきた。それを察した乙姫様は「村に帰って、もし困ったことがあったら、この玉手箱を開けなさい。それまでは決して玉手箱を開けてはいけません。」と言って、太郎を送り出した。太郎が亀の背に乗って村に帰ると、自分の家はおろか村の様子がすっかり変わっていて、太郎の知っている人が一人もいなくなっていた。太郎が竜宮で過ごしているうちに、地上では何十年も経っていたのだった。困った太郎は、乙姫さまに貰った玉手箱のことを思い出した。乙姫さまが決して玉手箱を開けては行けません、と言った玉手箱の蓋を開けると、中から白い煙がもくもくと出て、たちまち太郎は白いひげのお爺さんになってしまった。
◎放送日:1975年3月25日(昭和50年)

[福娘童話集より浦島太郎]…むかしむかし、ある村に、心のやさしい浦島太郎という若者がいました。浦島さんが海辺を通りかかると、子どもたちが大きなカメをつかまえていました。そばによって見てみると、子どもたちがみんなでカメをいじめています。
「おやおや、かわいそうに、はなしておやりよ」「いやだよ。おらたちが、やっとつかまえたんだもの」見るとカメは涙をハラハラとこぼしながら、浦島さんを見つめています。浦島さんはお金を取り出すと、子どもたちに差し出して言いました。「それでは、このお金をあげるから、おじさんにカメを売っておくれ」「うん、それならいいよ」浦島さんは、子どもたちからカメを受け取ると、「もう、つかまるんじゃないよ」と、カメをそっと、海の中へ逃がしてやりました。さて、それから二、三日たったある日、浦島さんが海に出かけて魚をつっていると、「浦島さん、・・・浦島さん」と、だれかが呼ぶ声がします。「おや? だれが呼んでいるのだろう?」「わたしですよ」すると海の上に、ひょっこりとカメが頭を出して言いました。「このあいだは、ありがとうございました」「ああ、あのときのカメさんかい」「はい、おかげで命が助かりました。ところで浦島さんは、竜宮城へ行ったことがありますか?」「竜宮? さあ? 竜宮って、どこにあるんだい?」「海の底です」「えっ? 海の底へなんか、行けるのかい?」「はい。わたしがお連れしましょう。さあ、背中へ乗ってください」カメは浦島さんを背中に乗せて、海の中をずんずんともぐっていきました。まっ青な光の中で、コンブがユラユラ。赤やピンクのサンゴの林が、どこまでも続いています。「わあ、きれいだな」浦島さんがウットリしていると、やがて立派なご殿へつきました。「着きましたよ。このご殿が竜宮です。さあ、こちらへ」カメに案内されるまま進んでいくと、この竜宮の主人の美しい乙姫さまが、色とりどりの魚たちと一緒に浦島さんを出迎えてくれました。
「ようこそ、浦島さん。わたしは、この竜宮の主人の乙姫です。このあいだはカメを助けてくださって、ありがとうございます。
お礼に、竜宮をご案内します。どうぞ、ゆっくりしていってくださいね」浦島さんは、竜宮の広間ヘ案内されました。浦島さんはが用意された席に座ると、魚たちが次から次へと、見たことがないようなごちそうを運んできます。ふんわりと気持ちのよい音楽が流れて、タイやヒラメやクラゲたちの、みごとな踊りが続きます。ここはまるで、天国のようです。そして、「もう一日、もう一日」と、乙姫さまにいわれるまま竜宮ですごすうちに、三年の月日がたってしまいました。浦島さんは、はっと思い出しました。(家族や友だちは、どうしているだろう?)そこで浦島さんは、乙姫さまに言いました。「乙姫さま、いままでありがとうございます。ですが、もうそろそろ、家へ帰らせていただきます」「帰られるのですか? よければ、このままここで暮しては」「いいえ、わたしの帰りを待つ者もおりますので」すると乙姫さまは、さびしそうに言いました。「・・・そうですか。それはおなごりおしいです。では、おみやげに玉手箱を差し上げましょう」「玉手箱?」「はい。この中には、浦島さんが竜宮で過ごされた『時』が入っております。これを開けずに持っている限り、浦島さんは年を取りません。ずーっと、今の若い姿のままでいられます。ですが開けてしまうと、『時』がもどってしまいますので、決して開けてはなりませんよ」「はい、わかりました。ありがとうございます」
 乙姫さまと別れた浦島さんは、またカメに送られて地上へ帰りました。地上にもどった浦島さんは、まわりを見回してびっくり。
「おや? わずか三年で、ずいぶんと様子がかわったな。」たしかにここは、浦島さんがつりをしていた場所なのですが、なんだか様子がちがいます。浦島さんの家は、どこにも見あたりませんし、出会う人も知らない人ばかりです。
「わたしの家は、どうなったのだろう? みんなはどこかへ、引っ越したのだろうか? ・・・あの、すみません。浦島の家を知りませんか?」浦島さんが一人の老人にたずねてみると、老人は少し首をかしげて言いました。
「浦島? ・・・ああ、たしか浦島という人なら、七百年ほど前に海へ出たきりで、帰らないそうですよ」「えっ!?」
 老人の話しを聞いて、浦島さんはびっくり。竜宮の三年は、この世の七百年にあたるのでしょうか?
「家族も友だちも、みんな死んでしまったのか・・・」
 がっくりと肩を落とした浦島さんは、ふと、持っていた玉手箱を見つめました。そういえば、乙姫さまは言っていたな。この玉手箱を開けると、『時』がもどってしまうと。・・・もしかしてこれを開けると、自分が暮らしていた時に戻るのでは」
 そう思った浦島さんは、開けてはいけないと言われていた玉手箱を開けてしまいました。
モクモクモク・・・。すると中から、まっ白のけむりが出てきました。「おおっ、これは。」けむりの中に、竜宮や美しい乙姫さまの姿がうつりました。そして楽しかった竜宮での三年が、次から次へとうつし出されます。
「ああ、わたしは、竜宮へ戻ってきたんだ」浦島さんは喜びました。
 でも、玉手箱から出てきたけむりは次第に薄れていき、その場に残ったのは、髪の毛もひげもまっ白の、ヨボヨボのおじいさんになった浦島さんだけでした。
(福娘童話集:http://hukumusume.com/douwa/betu/jap/07/01.htmより転載)

※浦島太郎あらすじの見解…昔から言い伝えとして伝説といわれてきた「浦島太郎」の物語。皆さん方は、物語の内容は知っているようであまり知らない人も多いようです。今回、まんが日本昔ばなしと、福娘童話集より浦島太郎のあらすじ、2本掲載しました。亀がいじめられるところを浦島太郎が助けて、そのお礼に亀が竜宮城へ案内し、乙姫様と出会う。数日後、故郷が気になり乙姫様に別れを告げると同時に手土産に玉手箱をもらう。故郷に帰った浦島太郎が乙姫様の忠告を破り玉手箱をあけてしまったために白髪の爺さんになってしまうという点では共通する。まんが日本昔ばなしの方はあらすじてきに短め、一方、福娘童話集より浦島太郎のあらすじは、まんが日本昔ばなしより長いあらすじとなり、竜宮城や乙姫様の様子などが事細かく表現されている。このように、浦島太郎の物語も原作者によって違ってくる。皆さんはどうだろうか?…次に、浦島太郎の歌だが、浦島太郎の歌は5番まである。歌の内容をみれば、浦島太郎のあらすじがわかる。

【浦島太郎の歌】…1:昔むかし、浦島は、助けた亀に連れられて、竜宮城へ来てみたら、絵にも描けない美しさ。
2:乙姫さまのご馳走に、鯛やヒラメの舞い踊り、ただ珍しく面白く、月日の経つのも夢のうち。
3:遊びにあきて、気がついて、おいとまごいも、そこそこに、帰る途中の楽しみは、みやげにもらった玉手箱。
4:帰って見れば、こはいかに、元居た家も村も無く、みちに行きあう人々は、顔も知らない、者ばかり。
5:心細さに蓋取れば、あけて悔しき玉手箱、中からぱっと白煙、たちまち太郎はお爺さん。
(浦島太郎:http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/urashima.html:参照)
浦島太郎の伝説は、全国各地に残されている。神奈川県、長野県。中でも、京都府の北部丹後半島、伊根町と細野町「丹後国風土記(たんごふうどき)」にもとづいた浦島太郎の伝説だ。

【青森県浦島地区と浦島伝説】…青森県内には、日本海側中心に「亀」という地名を持つ場所が32ヶ所あり、陸奥湾に面した入り江の一番周辺はそのままずばり「浦島」という地名である。陸奥湾を見下ろす山の中に、龍神様とともに浦島太郎が祀られているという話しや、浦島伝説が古くから残っている祠(ほこら)の存在が明らかになった。その祠は、八大龍神宮にあるという。地元では「浦島神社」と呼ばれ、海上に浮かぶ「亀島」とともに、昔から「亀信仰」を受け継いできた。

【各地で祀られる聖人・うらしまこ】…浦島太郎の物語では、「海岸で亀を助けた浦島太郎は、その恩返しに海の中にそびえたつ竜宮城に案内された」とされる。物語に登場する竜宮城は、海神が住むとされている海底の宮殿のことだ。浦島太郎の物語は、竜宮城の伝説と常にセットである。浦島太郎を祀るとされる浦島神社は、全国に点在し、北は北海道の湧別町から南は沖縄、与那原町まで日本全国40か所余りもある。その中でも起源が最も古いとされている神社が、京都府伊根町にある浦嶋神社である。そこには、「浦嶋明神縁起」という、14世紀前半に描かれた国の重要文化財にも指定されている貴重な絵巻物が厳重に保管されている。その絵巻には、豪華絢爛な竜宮城や浦島太郎と乙姫の暮らしぶりが描かれており、物語の結末が事細かに遺されている。浦嶋神社の宮司が、驚きの真実を語ってくれた。なんと、「浦島太郎はこの京都に実在した人物なのです」というのだ。浦島の話は、8世紀の「日本書紀」「丹後国風土記」に登場するのが最も古い。それには浦島太郎は「浦嶋子(うらしまこ)」、竜宮城は「蓬葉山(とこよのくに)」、玉手箱は「玉匣(たまくしげ=化粧箱)」と記されている。『丹後国風土記』の逸文に描かれているあらすじは、現在に伝わる浦島太郎の昔話とほぼ同じである。8世紀に書かれた浦島物語は、7世紀末の日本の文人、伊預部馬養(いよべのうまかい)による創作と考える研究者がいる一方、実在の人物の実体験に基づく伝説だと主張する学者もいる。さらに数々の資料を読み解くと、多くの古文書で浦島太郎と思われる人物の名前が記されていることがわかった。その描写はどれもが一致していて、浦島太郎の実在の証として、「本名」そして「出生の地」まで記されているのだ。『日本書紀』『丹後風土記』『万葉集』のどれもが、漢字こそ違えど読みはすべて「みずのえのうらしまこ」と記している。出生の地についてもすべての史料で丹波国余社郡(よさのこおり)と一致している。そこは、現在の京都府与謝郡伊根町であり、浦嶋神社の所在地だ。うらのしまこ(浦島太郎)が生きた世は、雄略天皇統治の時代。大勢力となっていった大和王権の武力と宋からの先進文明の輸入をもって天皇独裁政治が確立した時代といわれている。そんな時代に漁師を生業としていた浦島太郎は、伊根町付近の日本海側から自分の舟を出し、漁をしていたのだ。次に竜宮城の場所だが、場所を特定するには浦島太郎の足跡を追う必要がある。浦島太郎が海上で向かった「方角」、舟の「速度」、そして城に辿り着くまでの「時間」。まず「時間」の謎解析『御伽草子』を紐解くと、「浦島太郎は10日あまり海を進んで金と銀の御殿に到着」とあり、これが竜宮城だとすると到着するまでにかかった時間は10日間ということになる。次に「方角」。『日本書紀』によると太郎が舟を出したのは西暦で478年の8月とある。京都府伊根町付近の夏の潮の流れを、海上保安庁のデータをもとに調査した結果、その平均時速や方角が判明した。日本海の潮の流れは北東に動く。方角は北東だ。浦島太郎を乗せた小船は対馬海流の影響を強く受けた潮の流れに沿って、日本海沿岸を北上したとかんがえられる。最後は「速度」。当時の舟で潮の流れに乗ったとして、1時間にどれだけの速度で進めるのか?海上自衛隊の幹部に取材したところ、当時の舟の形状、手漕ぎであることなどを考慮し、「舟に慣れているとすると、1時間に3ノットから4ノットでこぐことが可能」との回答を得た。つまり、潮の流れを考慮すると1日およそ60キロ~70キロの移動が可能だ。太郎は日本海上を1日60キロから70キロ北上し、10日間かけて竜宮城に到着したことになる。この「時間」「方角」「速度」のデータを統合し、竜宮城の正確な位置を導き出すと、やはりというべきか、青森県の日本海沿岸となる。過去に謎の巨大海底遺跡を調査した沖合と、浦島太郎が辿り着いたと推定できる場所が一致したのである。浦島太郎と巨大海底遺跡が結びついた。
…<2015年 8月No.417 ムーより転載=文:新村幸三郎>…

【佳代と乙姫】…小学校6年生の学芸会の時に「浦島太郎」の乙姫役を佳代が熱演した。佳代の乙姫様は評判が良く、当時の校長先生が走って見に来るほどの乙姫様を演じた!!音楽劇「浦島太郎」は、みんなでの合唱でも、ひときわ佳代の歌声がさわやかに響きわたる。この頃から、芸能界の素質があったのだろう。歌に、演技と…
【小学6年生・学芸会:音楽劇「浦島太郎」の乙姫(佳代)】【小学6年生・学芸会:音楽劇「浦島太郎」の乙姫(佳代)】
画像:http://x24.peps.jp/yukiko19841986/subtop/?cn=199:参照

【佐藤佳代(岡田有希子)の文集による乙姫様】…「ああ…失敗したらどうしよう?」舞台の幕の後で、手足がふるえるのを感じながら、祈るような気持ちでいるうちに幕が開いた。歌をうたいながら舞台に進んでいき王座についた。照明がまぶしく、みんなの視線がいっせいに舞台へ集まってくるようで顔がほてってくる。せりふを言うたびにドキドキして言いおわるとホッとする。
乙姫の独唱になり高ぶる気持ちをおさえて歌った。三幕めがおわり、はなやかなフィナーレ。
六年生の音楽劇は、終了した。それが私にとって、この六年生で一番心に残っていることである。
永遠のアイドル岡田有希子さんの紹介~ユッコのページ~より転載>

◎「浦島太郎」の記事をかくにあたり、故・岡田有希子さんは夢で私に語りました。…ファンの皆さん方は、私(岡田有希子)の事を書いてくれるのはありがたいのですが、「浦島太郎」のことはあまりくわしくかいてくれないと?…皆さんは、私が学芸会で「浦島太郎」の相手役乙姫様役を演じたことだけはさらりと書いていることが多いので、「浦島太郎」の内容も書いてほしかった…そして、「浦島太郎」の相手役乙姫様役を演じた私(佳代&有希子)の事を書いて下さる方に…と私に話しかけられました。なので、私が岡田有希子さんに変わって「浦島太郎」の物語と、謎の部分を書かせていただいたわけです。これは、冗談でなく、向こうからの「メッセージ」です。知人にも確認したら書いてもらいたいと言ったそうです。私も、うまくは書けていないですが、岡田有希子さんが演じた乙姫様を想像しながら、記事を書かせていただきました。
【浦島之子帰国従龍宮城】
             【浦島之子帰国従龍宮城】
             <歌川芳年による。1886年>
【京都府与謝野郡の浦嶋神社・宇良神社】             【京都府与謝野郡の浦嶋神社・宇良神社】
             <筒川大明神として祀っている>


ブログランキング・にほんブログ村へ                   
スポンサーサイト



精神世界の成長(魂の向上)!!

【精神世界の成長(魂の向上)】…つまり、人が地上で生活する目的は、「魂を成長させる」このことばによります。高級霊が苦労しながら地上界に働き、霊的真理を地上にもたらせる目的、それは、地上人の魂の成長を促す以外の何物でもないです。優れた霊界通信、霊訓には、真理だけでなく、霊的人生を歩むための多く実践的内容が述べられているようです。霊的真理は、実践してこそ価値を持ちます。霊的真理を持ったと言うだけでは、スピㇼチュアリストとは言えていません。それではどうしたら私達は地上で魂の成長をこなせるのでしょうか?。何をしたら地上人生の間に霊性をたかめることができるのか?高級霊訓が示す霊的人生の為の実践とはなんでしょう?「シルバーバーチの教訓』「インベレータの霊訓(モーゼスの霊訓)」アラン・カルデックの『霊の書』の三大霊訓において示される霊的人生の実践内容は、大きく次のようにまとめられます。

 ①霊優位のための自己コントロール(霊的肉従の努力)
 ②苦しみへの正しい対処
 ③利他愛の実践(人を正しく愛する)
 ④霊的世界とのストレートな交わり(瞑想・祈り)

前文ではこの内の①の霊優位のための自己コントロールについて話しました。今回は、②苦しみへの正しい対処についてみます。
・スピリチュアリズムの教え―――苦しみ・困難は必要不可欠なもの
・地上は苦難の世界---苦しみは避けられない地上人の宿命
・地上の苦難に対する二通りの姿勢
・霊訓の示す苦難への心がまえ
・霊的真理実践の最大の障害---勇気と謙虚さとの欠如
・苦しみを苦しみと感じなくなる高い心境

スピリチュアリズムの教え---苦しみ・困難は必要不可欠なもの
スピリチュアリズムの真理が分かっても苦しみは何とかさけたいと思うもので、それはごく当然の在り方でしょう。一般の人達は、苦しみや困難がないことが幸せで、苦難があることは不幸せと認識します。苦しみは人生から幸せを奪い取る敵であり、何とかそれを避けたいと願うものです。多くの人達が宗教に係りを持ちますが、その人達が求めるのは、苦しみのない幸せな人生です。釈迦の仏法も、生老病死という避けられない人生苦を、いかに克服すべきかというところから出発しています。このように苦しみは、私達の人生の中で大きな部分を占めています。

ところが高級霊訓は、苦しみに対して地上人は全く違った捉え方をしているのです。違うどころか180度も反対のことをいってるのです。私達地上人の常識を根本から覆すようなことを述べています。シルバーバーチはしばしば「苦しみは避けてはいけません。ありがたいものとして受け入れなさい。」と言ってるのです。霊訓を読む時、私達はよく、地上人と霊界人のちがいの大きさに驚かされることがあります。例えばその一つが死についての考え方です。私達にとって愛する人との死別は、悲しみの絶頂期ともいうべきものです。
それに対して霊界の人々は、どうして死をそんなに悲しむ必要があるのでしょうか。【どうして死を悪く考えるのですか。死は肉体と言う牢獄から魂を開放してくれる喜ばしい時です。」というように、創造もつかぬ返事をします。】そして同じように私達が地上で味わう苦しみ困難についても、有難いものだというのです。この世の多くの宗教は、苦しみを取り除くことを意味しますがそれに比べてスピリチュアリズムは何と言ってるでしょうか?高級霊の発言や教えは、常に霊界と言う永遠的世界の観点からなされます。私達が幼児であるならば私達地上人等、霊界の高級霊は、無条件に親であり大人なのです。その視野の広さ全体を見通した判断力は、私達とは比べ物になりません。そのような高級霊が、くるしみは魂の成長に不可欠なじょうけんですといっているのです。

※この記事の内容は、天使👼が知人の体を借りて(憑依)👤書かせた記事掲載です。本人は、夢なのか書いた記憶はないと言っているが、記事は書かれていた。記事の内容もまともに書かれている。これがいわゆる「5次元の世界」と言われる現象である。
【魂の画像】

(画像:https://ameblo.jp/lifeisfantasy/entry-11999878831.html:参照)
※今回の記事について…前回も【天使=鳥(聖霊)=知人によるコラボ掲載記事】と紹介しました。
このことに関し、見解を述べたいと思います。まず、皆さんが疑問に思うのは、そんなことができるのか?
冗談だろう…ふざけてるんじゃないか…と、思う人が必ずいるということ。既に、カテゴリー「鳥は天使の使い!!超能力と動物!!」
で掲載した記事に、古代鳥たちは神の言葉を預言者を通して、我々人間に警告と預言を語られた事実があることを。それは、今でも「古代エジプトの神話」の文言に書かれていると言う事実。鳥は、時として「天使」として現れる事もある。鳥は、知人に言ったそうです。天使の言葉を一字一句間違わずに、知人に知らせなさい。鳥たちは、天使の言っている言葉の意味がわからないらしい…ただ、暗記力は優れている。一字一句間違えると、天使に怒られると知人に話された。意味は知人が知っているから知人に聞きなさいと鳥は言われた。では、どうやって、言葉を伝えるのか、と言う点。
知人に聞くと、天使から伝えられた言葉は、鳥が映像として(テレパシーで送信)、文字を知人に送るらしい(この時点で5次元)。それを、元にこの記事(メビウスの帯)を書かれたと言うことだ。知人のほかにも、鳥ではなくとも、天使からメッセージを受け取る人もいて、伝え方はさまざまだが、数えるほどの人しかいないと、知人は鳥から聞いたという。

ブログランキング・にほんブログ村へ                    

数秘術33・厄年と三十三間堂・喜多見不動尊と岡田有希子

【厄年とは】…厄年とは、平安時代から始まり、厄年の年齢を迎えると神社やお寺などで厄除け、厄払いをします。神社で祈祷の場合は「厄払い」、お寺で祈祷の場合「厄除け」といいます。厄年は、一年前は前厄といいます。一年後を後厄、厄年(本厄)を中心に構成されている。本厄の年齢は次の表の通りで、男性は42歳、女性は33歳と要注意とされている期間です。
 男性 25歳 42歳(大厄) 61歳
 女性 19歳 33歳(大厄)37歳 61歳

前厄は、厄年に何かが起こる前兆の年であることを意味し、後厄は、厄のおそれがなくなる年の意味で、3年間は厄年が続くことになるので、健康や生活に気をつけるように、厄払い、厄除けをして新年を迎えます。
厄年は、数え年で行う為、男性の41歳は数え年だと42歳になるので「しに」、女性は32歳が数え年なので33歳さんざん」とよめることで、この年齢が厄年の最も災難が起こる「大厄」といわれている。言葉の語呂には言葉には神が宿ると考えられている為である。

※岡田有希子は、当時18歳で亡くなっている為、数え年の19歳本厄となります。

 【厄年の出産・男児は厄を落とす、女児には厄がうつる?…】
女性は30代に厄年が6年間あります。厄年の出産は「厄を落とす」と昔から考えられており、縁起の良い事と諸説あります。男児の場合は「厄を落とす」、女児の場合は「厄がうつる」といわれ、男児を産めば母親の厄を落としになり、厄が無くなるのですが、女児の場合は、母親の厄が赤ちゃんに移ってしまうといわれている。そこで、女児が産まれた場合。母親が赤ちゃんを道端に置いて家に帰り、人に届けてもらう「捨て子の儀式」を行い、厄を払うという風習もあり、中には迷信だという声もあります?

【子どもの厄年とは?】
数え年で13歳の年は、生まれて初めて干支が一周する年。13歳の子どもの厄払いは「十三参り」「十三詣」とよばれ、厄を払うと同時に大人になる儀式とも考えられた。関西地方を中心に行われており、関東地方を中心に行われている「七五三」、3歳
の男児・女児、5歳男児、7歳女児が11月に地域の氏神様に詣でる風習、厄年に由来するといわれています。

【熱田神宮-七五三参り】(参照:岡田有希子ー佐藤佳代の七五三参り
 …岡田有希子(佳代)三歳…

【三十三間堂】…三十三間堂の正式名所は、蓮華王院(れんげおういん)。蓮華王とは千手観音の別称。
三十三間堂は「三十三間四面」に由来し、お堂内陣の柱間が33ある建築物です。

三十三間堂内には千手観音像が1001体あり、全て御本尊です。国宝千手観音像、重要文化財の千体千手観音立像
千手観音には40本の手、一本の手に25の救いが働く。40本×25人=1000人の人々を救済するといわれています。
言い伝えによると後白河法皇は千の手によって無数の救いを願い、千体作ったと云われている。千体の中で124体は創建時代の平安期の尊像、その他は鎌倉期につくられ約500人の作者名が残されています。有名な作者名に運慶、快慶など。
1249年火災焼失となり、後嵯峨上皇によって本堂が再建(朱塗り)。桃山時代に豊臣秀吉によって大仏殿方広寺を三十三間堂の北隣に造営。重要文化財に指定され太閤塀として現存します。

観音様は(観自在菩薩)は慈悲のこころにより、救いを求める人がいたら、すぐにその人の側によって、救済するといわれ、最も一般の人々に親しまれる観音様である。観音様も33の姿に自在に変化し、状況に合わせ人々の苦しみ悩みに寄り添い、衆生の人々を救うと考えられています。33は、天使の数(エンジェルナンバー)とも呼ばれ観音様同様に、人々の苦しみや悩みに寄り添って救ってくださいます。仏教もキリスト教も関連が深い。
【喜多見不動尊と岡田有希子】
【喜多見不動尊と岡田有希子】…ユッコ(有希子)は、世田谷区にある
喜多見不動尊をよく訪れたようです。当時の相澤会長と毎朝6時に
ジョギングをしながら、芸能人の心構えをデビュー前までに教わった。
その後10円玉6枚を6体ある6地蔵菩薩の前に賽銭毎月1日と15日に
丹念に回って祈願した。
パワースポットである神社やお寺、有希子は地蔵菩薩から不思議な力を
授けて貰ったのだろうか?…
※1984年(昭和59年)9月1日発行-平凡9月号 画像は雑誌の切抜きから

 ※不動明王は、大日如来の化身で真言密教の弘法大師が開創。

【喜多見不動尊】…喜多見不動尊は、不動明王を本尊とする仏閣です。
明治初期に起きた、多摩川大洪水の時、喜多見河原に流れ着いたものを、当時の住民が成田山新勝寺で入魂し、お堂に安置したと伝えられる。境内には湧き水による滝があり、滝不動も祀られている。毎年、冬至の日には、星祭りが行われる。
【湧き水と滝】               【湧き水と滝】

ブログランキング・にほんブログ村へ                    ↑ポチっと応援頂ければ今後の励みになります。


メビウスの帯・ パソピアIQと有希子(MSX)

【メビウスの帯】…メビウスの帯とは、輪廻転生と冒険の旅(quest)の事で、3次元から11次元への飛翔を意味する。つまり無限の繰り返しを比喩的に表すものとして用いられる。メビウスの帯は1週して戻ってくると向きが逆転しているという性質を有していることから、登場人物が何らかの経験を経て考えをあらためて過去(あるいは元いた場所)に戻る際の比喩としてメビウスの帯が使われることもある。さて皆さんは此のメビウスの環を視て何をイメージされるんでしょうか?ある機会に、仲間のシニアな方がこの図形をみてつぶやきました。
【天の川銀河の中心に浮かぶ「無限大」のリング】
【画像:天の川銀河の中心に浮かぶ「無限大」のリングhttp://www.astroarts.co.jp/news/2011/07/20warped_ring/index-j.shtml参照】

◎Aさんのつぶやき
表面だと思って底を走っていたら、いつのまにか会社の(または技術の)裏街道を歩いていた、と言う事を象徴するための図形、その逆に、冷遇されている技術や技術者が突然、閃いて表舞台で大活躍と言う事もあります。
技術経営は、そこのところの見極めが重要だと思うのです。

◎Bさんのつぶやき            
メビウスの帯は、輪の上は 2次元の閉じた空間で戻りますが、実世界は、無限次元で、元に戻ったことや見も知らない荒野に来た事など不明な事が怪しいですね。
良いと思ってやっていることが、裏目に出ることは、世の常です。自分の人生においても、又国家的な選択においても然り。後になりぶつぶつ愚痴を言うだけですむこともあれば時間のながれで取り返しのつかない大きな決定の分かれ道になることが多くなります。そのことで済まされようか。他に確かにする方法がないのでしょうか?…
ここでギリシャ神話によると人間と神と分ける点で言えば2つあり・人は死を自覚した時から、未来に大きく関心を持つようになったらしく、人生という1本の帯の端に、有無を言わせず送り込まれて誕生し、逆の端っこでこれもおなじように有無をいわせぬ死で引き上げる。この1本の帯の両端をひねりくっつけたのがメビウスの帯としたら私たちが見る過去未来は一体何だろうか。
又どうすれば未来が、すこしでも視えるのでしょうか。
小生の想いは、莫大な不確実性の前に戸惑う日本の閉塞感を打ち破る為、未来を少なくとも設計できる。新しい情報アーキテクチャ2・0の構想を描くことです。さてこれからはみなさんが未来について考える時期にきてると共に述べることにしますが過去や未来は人類1人一人の心次第で変えるのが可能になる変換期であることについてお知らせしようと思います。 それでは又次回に!!
※この記事(メビウスの帯)の内容は、当ブログ本人ではなく、【天使👼=鳥(聖霊)🐤=知人👤によるコラボ掲載記事です!!】

【MSXパーソナルコンピューターの歴史】…当時、80年代に流行った子どもたちの遊びと言えばファミコン(ファミリコンピュータ)が主流だった。同じころ、1983年から1986年までに人気があったのは、パソコンの原点と言えるMSXパーソナルコンピューターだった。今は、もうすでに幻になってしまったが、日本の主流家電企業がこぞってMSXのパソコンの製造に乗り出し市場に販売した。MSXは、アスキー(現アスキーメディアワークス)とマイクロソフトの提唱で規格され8ビット・16ビットの共通規格でMSX(1983)、MSX2(1985)、MSX2+(1988)、MSXturboR(1990)の総称である。MSXturboRは16ビットで構成されている。MSXに賛同した日本の企業メーカーはMSX1がカシオ計算機、富士通[FM-X]、ゼネラル[PAXON]、京セラ、パイオニア、次にMSX1・MSX2がキャノン、日立製作所、三菱電機[MSX:Let us(一部機種)、MSX2:(Melbrain's)]、ヤマハ[YIS(AV機器)、CX(楽器)]、日本ビクター[io(一部)]、東芝パソピアIQ、次にMSX1・MSX2・MSX2+は、三洋電機[WAVY]、ソニー[Hit Bit]、最後にMSX1・MSX2・MSX2、MSXturboRと松下電器(後のパナソニック)がキングコング初期を、後期にA1を販売。16ビットのCPUを搭載するMSXturboRは松下電器1社となりその後MSXは衰退の一途をたどり1995年に生産終了。MSXの終焉である。1990年頃にはNEC等のMicrosoft Windows95(PC-98)、Macintoshなどが主流となる。(出典:Wikipedia転載)

【MS-DOS】…MSXのOSはMS-DOS。MS-DOSは、1981年発売のIBM PC用のディスクオペレーティングシステムとして開発。「IBM PC DOS」として開発されたが、1982年マイクロソフトがIBMとの共同開発契約に基づきコンパック等のIBM以外のメーカーに「MS-DOS」名称でOEM提供を開始した。MS-DOSはCP/M類似のオペレーティングシステムだが、IBM PCの成功により16ビットパーソナルコンピューター市場でデファクトスタンダードとなった。バージョン6からはIBMとマイクロソフトのOS共同開発契約が終了。MS-DOSとIBM PC DOSは並行して販売されたが、マイクロソフトはMicrosoft Windows、IBMはOS/2に移行。2001年頃にはMS-DOSおよびIBM PC DOSの各サポートが終了した。(出典:Wikipedia転載)

【岡田有希子・東芝PASOPIA IQcm】

            【岡田有希子/東芝パソピIQcm】
参考動画: https://www.youtube.com/watch?v=hEeAhzFiqrE引用

【東芝パソピアIQ(MSX)cmと有希子】…東芝パソピアIQといえばMSXの当時、ワープロソフトが内蔵されているパーソナルコンピューターである。ワープロを使うためには専用の漢字ROMが必要となる。1984年秋に発売された、パソピアIQ:HX-20 MSX1はRAM64KiB。パソピアIQ(MSX2):HX-34はさらに進化してワープロ内蔵のほか、フロッピーディスク搭載、色鮮やかな256色搭載。東芝パソピアIQのイメージキャラクターに岡田有希子が起用された。当時としては、パーソナルコンピューターの原点と言えるパソピアIQはワープロ内蔵が搭載されていることで注目された。きっと有希子も日記やポエム(詩)、色んなことをパソピアIQで綴っていたのだろう?…
【岡田有希子・東芝PASOPIA IQcm】

           【岡田有希子/東芝パソピアIQcm】
参考動画:https://youtu.be/pHbFrfUQhtc:引用

ブログランキング・にほんブログ村へ 

禁じられたマリコの謎

【禁じられたマリコ】…禁じられたマリコはTBS系列で1985年11月5日から
1986年1月28日の間に放送(全12話)されたサイコサスペンスドラマである。
出演:杉浦真理子(岡田有希子) 杉浦元太郎(竜 雷太)
高木竜一(三上博史) 
黒木刑事(峰岸徹)
TBS・東宝 主題歌:「銀雪の浪漫~Follow You」歌:藤ゆうこ 
作詞:内藤綾子 作・編曲:水谷公生(バップレコード)

◎【ナレーション】…「この世の中には、科学では解明できない?たくさんの不思議な現象がある。人はそれを超常現象と呼び、あるものは悪魔のなせる業だ…と恐れ、あるものは奇跡だ!超能力だ!と崇める。このドラマは、そうした超常現象に翻弄されながら、苛酷な運命と闘い、本当の幸せをつかんだ一人の少女の愛と勇気の物語である」…
ナレーション「城達也」

◎【あらすじ】…幼い頃から超能力を持っていた麻里子。ある日目の前で凶悪犯罪組織に狙われる父親が濡れ衣を着せられて、犯罪組織に加担した黒木刑事(峰岸徹)によって射殺される。そのショックのあまり超能力は封印された。その後、養父母に引き取られて、アメリカで生活を送る。17歳の高校生になった麻里子(岡田有希子)は何不自由なく育ち、父(竜雷太)の仕事の関係で、日本に帰国することとなる。帰国早々、パーティーの最中にお幼い頃に生き別れになった兄竜一(三上博史)が父親を殺した証拠となるマイクロテープを探すためマリコの部屋に侵入する。兄と知らずに出会った麻里子は今まで封印していた超能力が炸裂する。その後気を失った麻里子は回復して昔の記憶を少しづつ思い出し、生き別れになった兄と殺された父親の新聞記者だった頃の友人(親方)らとともに、様々な悲劇に巻き込まれ懸命に生きていく。そして濡れ衣を着せられ殺された父親の無実を晴らすため凶悪犯罪組織に立ち向かうことを決意する。


【 禁じられたマリコー1985-1986】
【禁じられたマリコ】1985年(11月5日)~1986年(1月28日)
全12話 TBS系列・東宝
出演:杉浦麻里子(岡田有希子)  杉浦元太郎(竜 雷太) 
   杉浦加奈江(岩井 友見)
   高木竜一(三上博史)  黒木刑事(峰岸徹
   前田耕一郎(中尾彬)  前田 弘子(赤座美代子)
(出典:Wikipedia)

【第2話「17歳だから戦う」】…[謎の闇組織ークロカモ(裏自衛隊)]…第2話に出てくる、謎の組織。証拠となるマイクロテープを探すため、麻里子や竜一たちを狙う組織は、現在のクロカモと言われる裏自衛隊を思わせるような演出である。クロカモに関しては福田さんが詳しく述べているので福田元昭の「桜の木になろう」を参照して頂きたい。
(参照:http://ab5730.blog.fc2.com/blog-entry-1017.html)
 【第2話ー謎の組織(裏自衛隊・クロカモ)
※クリックすると画像が表示されます。
謎の組織(裏自衛隊・クロカモ)から狙われる竜一たち】 
※クリックすると画像が表示されます
         
【第7話ー「あの胸に抱かれたい」】…美也子(生田智子)が、竜一(三上博史)に頭を下げ、「さようなら」「ごめんなさい」と言い走り去って行く。竜一は、「まさか、あいつ死ぬつもりじゃあねーだろうなあ」と言って美也子を探す。美也子は、近くで隠れて竜一と別れを告げる。私に免じて父を許してあげてください。お願いします。と言い、かつて監禁された場所に行き、手首を切って自殺を図るが、美也子は一命は取り留める。これは、岡田有希子の自〇を暗示しているような演出である。
【竜一に別れを告げる美也子】
             【竜一に別れを告げる美也子】
【監禁された場所で手首を切る美也子】
             【監禁された場所で手首を切る美也子】
mariko701.jpg
【飛び降り自殺】…前田弘子(赤座美代子)が崖から身を投げようとしているシーン。
弘子が少しづつ記憶を思い出すシーンである。これは、当時1986年3月30日に遠藤康子の飛び降り自〇、その10日後、4月8日に亡くなる岡田有希子の飛び降り自〇をまるで予見しているかのように思う?… 

【第9話「もう一人の超能力少女」】…麻里子(岡田有希子)が折り鶴を片手に持ち「生きていて、かあさん」と言ったところで場面が変わり、前田耕一郎(中尾彬)の屋敷の地下室の場面、そこで妻の弘子(赤座美代子)が閉じ込められて、耕一郎に催眠術をかけられて遺書を書かされるシーン。…「あなた 美也子さん めぐみ 私はもう疲れました。生きていく気力がありません。

死んでつぐなおうと思います。」しかし、娘の美也子(生田智子)に見つかり催眠術は解けていく。公に、岡田有希子の遺書と言われる内容にも「愛に疲れました」と書いてあったと言われるが、果たして本人が書いたとされる遺書なのかは疑問がある?…。

【弘子が折った折り鶴】
             【弘子が折った折り鶴】
【催眠術をかけられ遺書を書く弘子】
             【催眠術をかけられ遺書を書く弘子】

【第10話「死の実験室」】
意識を失った妹めぐみを超能力で元の体に戻すため、自分の命の危険性を承知に、妹めぐみを助けることができたら前田に自首をする条件で、頼みを承諾する麻里子。その帰り、土地・建物の不動産店舗の軒下の一角に、捨て犬と思われる子犬が雨のしたたる軒下に、麻里子の近くによりそってくる。子犬を抱きかかえるこの光景(シーン)は、佳代が中学2年生の冬に、外で震えてる子犬を拾ったエピソードとリンクする。母は動物嫌いだったが、自分で世話をするならと許してくれた。そして、段ボールの中に毛布と目覚まし時計。目覚まし時計のチクタクという音が母親の心臓に似ているからのことだそうだ。子犬は眠りについた。会社から父が帰ってきて許しを願ったが、1日だけという条件で許しが出た。が、3日間だけ子犬といることになった。別れの日、写真を撮影し、段ボールの中にカイロと毛布、さびしくないように目覚まし時計を入れて、子犬を抱きかかえて別れをつげた。佳代の最後の愛情である。
(子犬の話は実録まんが「岡田有希子」:参照)

【最終話「聖少女-最後の戦い」】…最終話で麻里子(岡田有希子)と黒木刑事(峰岸徹)が、山形県の鶴岡市で会い、車で移動するシーン。黒木刑事が麻里子に尋ねる。「今度生まれ変わるときは、何がいい?…ネズミとゴキブリ、そしてナメクジの中から選ぶとしたら…」「俺はゴキブリがいいな。ゴキブリってやつは、ひとから目のかたきにされるけど、、空を飛べるしな。飛んでみてえな。空を」…ここでの話しは、生まれ変わりを例えで話しているが、以前岡田有希子も亡くなる数ヶ月前に、空を飛んでる夢を見たと発言している。ビルから飛び降りるのを目撃した人の中には、黒い物体が落ちたと証言している人もいたので、黒い物体=ゴキブリという表現も何かの暗示なのか?…そして、耕一郎(中尾彬)と麻里子(岡田有希子)が雪の中遭難にあうため、一時しのぎに小さな山小屋に避難するのだが、この山小屋不自然な形で三角形?何かのシンボルマークに似ている。ピラミッドに目!そう、「フリーメーソン」の形に似ている。どうだろうか?…

【黒木刑事が麻里子に訪ねるシーン】
             【黒木刑事が麻里子に訪ねるシーン】
【山小屋に避難する耕一郎と麻里子】
             【山小屋に避難する耕一郎と麻里子】

【麻里子の復活?】…山小屋に避難した二人。耕一郎(中尾彬)は麻里子(岡田有希子)に自分の過去の過ちを告白する。耕一郎は、麻里子に安全な場所まで戻るよう促す。初めて、実父の優しさを見せた耕一郎。麻里子は最後の力を出せば、あなたをそこまで(クラブハウス)運ぶことができるかもしれない。最後まで力を振り絞って、前田を超能力で助ける麻里子。前田は麻里子の超能力、テレポーテーションで安全な場所まで運ばれた。前田もテレパシーを使って麻里子を呼び寄せ助けようとするが、力尽きて麻里子は倒れてしまう。前田は警察に捕まって逮捕されるが、麻里子の行方は依然と消息がつかめず、絶望する竜一たち。妹が麻里子の歌声をテレパシーで読み取り麻里子が呼んでいるその場所へと竜一たちは向かう。雪に埋もれた中から妹が麻里子が歌っている。…そして、みんなの前に新たに復活した麻里子がよみがえった。…
【復活した麻里子】
ナレーター:麻里子は復活した。奇跡だった。麻里子は今新たによみがえったのだ!
だれよりも愛し、だれからも愛される娘、麻里子として…
(参考動画:https://youtu.be/K9ZBPxh8uIM:引用元)

※【第8話「クリスマスが見えない!」謎の組織に狙われた実の母(赤座美代子)を助けるため、麻里子(岡田有希子)の超能力が炸裂するー感動の第8話)

◎ナレーター(3:26秒付近):麻里子(マリコ)の手のひらに、いつまでも母のぬくもりが残っていた。それは、母の折った折り鶴だった。お母~さん。!…心の中で小さく呼びかける。
♪「主は来ませり」。けがれを知らぬこどもたちが歌う清らかな歌声を麻里子(マリコ)は見えない目で追っていた。…
(禁じられたマリコ第8話:https://www.nicovideo.jp/watch/sm27045690ニコニコ動画引用)

◎岡田有希子の女優としての演技は、初主演ドラマとは思えないほど回を増すごとに上手くなっていく。当時、セリフを暗記するほど脚本に没頭し、なまえを呼んでも気付かないほどの集中力だった。このことを「瞬間記憶能力」といい、また後程くわしく述べたいと思う。そして、一緒に共演した人たちも、DVDやレンタルビデオなどの発売を熱望したが、あちら側?の都合で市場にだすのが困難な事情があるらしい…。
謎を秘めた「禁じられたマリコ」は幻のドラマといえる。
♪「主は来ませり」(もろびとこぞりて:https://youtu.be/d9Xsyxir4VI:引用)

ブログランキング・にほんブログ村へ                   

プロフィール

dqa44y8y9jlf

Author:dqa44y8y9jlf
FC2ブログへようこそ!
ハム太郎

カテゴリ

アクセスカウンター

カレンダー

10 | 2020/11 | 12
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 - - - - -

ブログ村ランキング

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR

リンクについて

当ブログサイトはリンクフリーです。 相互リンク・相互RSSを募集中! (アダルトはNG) コメント欄にてご連絡下さい。

著作権について

記事は主にWikipediaを転載しています。掲載している画像及び動画・文章 の著作権肖像権等は各権利所有者様に所属します。当ブログサイトは上記の権利やプライバシーを侵害する意図は全くございません。各権利所有者様におかれまして、記事不適切な箇所がございましたらコメント欄にご連絡ください。速やかに対応致します。