2021/01/28
命とは【守護天使】!がんと闘う【実は日本の医療は先進国で最低だ】より!
【命とは!】…今回のテーマは命です。私たち人間は、この地球(三次元)に生まれるまでは、みな神様のもとで地球(三次元)に生まれるための手続き(準備)をしければなりません。それぞれの生まれるための環境、生活、個人の性格、兄弟姉妹、最後に両親です。うまれるまでに、自分で選択条件などある程度はかみさまに嘆願できますが、最終的に神様と天使などによって条件などが整い生まれるため、一人一人順番ずつ生まれると言われます。この世(三次元の地球)に生まれてくるときは、天の国にいた記憶と前世は記憶から消され、自分に適合した両親を探し勉強(修行)するために生まれてくるのです。生まれるまでに自分の寿命もある程度決まると言われ、生まれた後にその人の人生次第で長く、短くなる。よく「宿命」と「運命」と聞きます。「宿命」とは生まれる前から決まっていたことでこれは中々かえることはできない。「運命」は周りの環境によって運ばれてきたり、自分で掴むときもあります。ともに見えない力(霊力)が働くときもあり、守護天使と言われる存在は、人一人にその人が生涯を終えるまで人身の保護と、知恵を教え導いてくれるとともに一緒に行動するといわれます。人様のために良い行いをする人は守護天使の支えと導きもあり、悪い行いを起こせば守護天使も堕天使に変わるともいわれ、よく日本のことばで私の右腕という言葉がありますが守護天使は右の方にいるからです。対して左の方は堕天使がいると言われ、左側に肩こりや、体調が悪いのは左には堕天使がいてその人をうつ病や不幸に陥れようと日々待ち構えています。いずれも、その人の考え方しだいで決まります。人が人生を全うしたときにあの世の行き先も決まりますが、人だけでなく一緒にいた守護天使もその人が人生を終えた後に裁判に着き神様と天使によって天国、あるいは地獄にいくか裁判の内容によってきまり、人間には煉獄はあって守護天使には天国と地獄しかありません。人間と違い、霊体の体なので肉体がない、天使が神様から与えられた使命はその人が人生を全うできるための保護、良い方向へ向かわせるための知恵と助けを任務としているからです。人間だけ浄化するための煉獄があります。

【守護天使】
(参考:http://tyutaro.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/post-8647.html:引用元)
【コミュニティより[実は日本の医療は先進国で最低だ]】…今回ご紹介したいのは、私がサブでやっているコミュニティにメンバーの一人が皆様方に伝えていただきたいと私に依頼をお願いされたので、紹介したいと思います。コミュニティといってもまだ立ち上げて間もないので恥ずかしながら集まっていません。でも、彼の皆さん方に伝えたいという心情のもと私のブログにて少しでも皆さん方に伝わればと思い紹介することにしました。
彼は64歳でがんになり入院経験をブログに綴っています。
私は言った。
「おしっこがしたくてしたくて堪らないのに、出ないのです」「そうですか。何とかしましょう」いろいろな処置を受けて、おしっこが出たのだった。しかし、お腹の痛みはもはや激痛という言葉を超えるほど、強烈でこの痛みを逃れるのなら死にたいと言う程、強いものだった。
しかも、痛みが秒ごとに増していったのだ。漸く、岡山さんという女医が私に説明してくれた。「大腸に大きなポリープがあります。それが便を止めているのです。もはやこのポリープを取り除く以外方法がありません。
中野さん、今日は金曜日です。土日は病院の手続き上、手術は出来ません。とても、月曜日までは持たないでしょう。
残酷な言い方ですが、よくここまでもったという感じです。普通の患者さんなら、亡くなっていても不思議ではありません。
今日急いで手術でこのポリープを取り除く必要があります。このポリープとは、一言でいえばガンです」私はあっと驚いた。衝撃だった。
前述したように、人体について考えるのも嫌で病名などは一切知らなかったのだが、さすがにガンの名前は知っていた。
確かに、そんな思いが私の脳裏をかすめた。しかし、次の瞬間、この痛さを取り除いてほしい。この痛みさえ、取り除かれれば死んでも良いと思えた。私は迷わず言った。「手術をして下さい。お願いします」「手術をしなければなりませんが、それには家族の同意書が必要です。電話はこちらでしますので、家族の連絡先を教えて下さい」ところが、家族への連絡が大変だった。自宅に帰れば壁に連絡先が貼ってあった。携帯電話を家族の中では私だけが持っていなかった。
…中略…
手術を受ける時が来た。妻と子供が私の手を握り「パパ頑張って」そう言ってくれた。次女だけがいなかった。間に合わなかったようだ。私のベッドは急いで手術室に運ばれた。…中略…
誰かが私の顔を覗き込んで、「私は麻酔医です。中野さん、何も考えずにリラックスして下さい」私は何も答えず、まさに俎板の鯉の心境だったのだろう。返事が出来なかった。何も出来なかった。
やがて全身麻酔で私の意識はなくなり、時間だけが経過していたのだった。はっと気が付くと明るい部屋だった。「手術は終わりましたよ」看護婦さんの声でやっと気が付いた。…中略…
しばらくすると子供たちの元気な声が聞こえた。「パパ、大丈夫や。全部の生徒に連絡出来た」「有難う。一番の不安が消えた」たちまち私は意識不明になったのだった。二週間も昏睡状態が続き、CIU(集中治療室)にも、何度も入ったそうだ。
…中略…
やがて、私は寝たきりで家族とゆっくり話が出来るようになった。何となく力が付いたような気がしたが、それから更に約三週間も入院することになる。やがて私は自分の体の変化に気が付いた。ウンチが出来なくなっていた。人工肛門というものを腹につけ、定期的に看護婦さんが処理してくれた。おしっこも自分では出来ずに、ブザーを押して看護婦さんを呼び出して尿瓶に向かっておしっこをしなければならなかった。時には出ないこともあり、「すみません。せっかく来てもらったのになぜか出ません」と、申し訳なさそうに言うほかはなかった。恥ずかしくて堪らなかった。自力で排出できないことはこんなにも大変なことなのかと痛感していた。それでも生きる為である。私に出来ることは何もなかった。殆どの時間は寝る以外なかった。それでもどんなに大変でも生きていることには感謝した。生きるということは唯それだけで素晴らしいことだ。心からそう思った。寝たきりの状態が長く続いていたが、それでも尚、生きていることを嬉しく思った。…中略…残業してまで私の命を助けてくれた執刀医、奔走して手術を間に合うように尽力して下さった内科の女医の岡山先生には、どんなに感謝しても感謝しきれなかった。何も考えることは出来なかった。考える余裕さえなかった。只、今生きている、そのことだけに感謝した。動けないままに只時だけが過ぎていた。どれ程後のことだろうか。看護婦さんが車椅子を私に貸してくれた。使い方を教わって恐々ながらそれに乗ることが出来た。「動くことが出来る」何と素晴しいことだろう。「動ける」只、それだけで心から勘当した。実際に車椅子に座れて移動した時には、移動できる喜びを素直に実体験した。「動けると言うことはこんなに素晴らしいことなのか」本当に感激した。
「あっ、パパが動ける」見舞いに来ていた次女の明るい声に生きていて良かったと改めて心から思った。動けることがこれ程有難いと思ったことはなかった。病院の外に出てみたいと思いつつも、残念ながらそれが無理なことは分かっていた。とは言え、青空をきれいな川を或は、もうすぐ見られるだろう桜を見たくて見たくて堪らなくなった。「出来れば外が見られる病室に移して下さい」
と看護婦さんにも頼むこともあった。病室の込み具合で、良く病室が変更された。その度に窓の近くのベッドを希望していた。
外の世界を見たかった。しばらくそんな状態が続いた。車椅子で動いて、自分でトイレに行くことが出来た時には心から感激した。
…続く…<実は日本の医療は先進国で最低ださんより転載>
ブログ管理人である[実は日本の医療は先進国で最低だ]さんは現在72歳と高齢ではあるが、がんの入院経験を生かして皆様に伝えようと頑張っています。私たち健常者の考えからは予想もできないような体験を経験して今もガンと闘い頑張ってブログを掲載しています。よかったら、皆さんも読んでみてください。そして、命はみな尊いものだということを…
【Fry Up! Angel】(https://youtu.be/XpXHo402p1g:引用元)
歌手:岡田有希子 作詞:滝 真知子 作曲/編曲:馬飼野 康二
月星化成イメージCM曲 CD-DVDBOX「贈りものⅢ」収録曲 '02.12.18日発売

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