2021/08/22
佐藤佳代から岡田有希子へ
★岡田有希子ー1967年(昭和42年)8月22日生まれ。本名佐藤佳代は愛知県一宮市で二人姉妹の次女として生まれた。生存していれば今年54歳の歳を迎えた事だろう…あれから36年の月日が経ち、当時の面影が薄れる中、街並みもずいぶん変わってしまった。岡田有希子さんは昭和の時代に突如彗星のごとく現れ、そして去っていってしまった…
未だ人気は衰えるどころか、新たにファンになった人も多い。岡田有希子さんには人を惹きつける魅力があるのだろう?
今回は、佐藤佳代から岡田有希子へと芸能界入りするところまでの特集を掲載しました。
【佐藤佳代・誕生】…岡田有希子さんは、本名佐藤佳代。出生は1968年(昭和42年)8月22日、愛知県一宮市に二人姉妹の次女として生まれる。母親の帝王切開も検討されるほどの難産で、未熟児出産による命の危険や脳障害の可能性もあったが異常はなかった。幼少期は言語障害ではなかったものの、「さ行」が全く言えなかった。1969年(昭和44年)、2歳の時に同県名古屋市熱田区へ引越す。幼稚園に入ると、姉が通っていたYMCAの体育教室に通い始めるが、運動神経のなさを自覚したという。
小学生になると表現する職業に憧れ、小学3年生の作文では「画家、漫画家、小説家」を挙げた。小学4年生から水彩画を習い始め、才能があれば将来は芸術大学に進む意思を母親に話していた。小学5年生の時、朝日新聞社主催の写生大会で入選。
小学6年生の時、熱田神宮の写生大会で宮司賞(一等賞)を獲る。
中学生になると油絵や日本画、デッサンを学び始め、模写を描き残している。
中学2年生の夏休みの課題では、ファンである河合奈保子の肖像画を油絵で描いて校内で高く評価され、その作品を河合本人に送ろうと考えていたという。
(出典:wikipedia引用転載)

【生後間もない佐藤佳代さんと母孝子さん】

【幼少期の佐藤佳代さん】
【芸能界へ】…
一方で、芸能タレントにも憧れを持っていた。小学2年生から合唱部に入り、小学6年生の時に地元のテレビやラジオ番組に出演。また、同じく小学6年生の時、学芸会の音楽劇『浦島太郎』で乙姫役を演じ、校長が見に来たほどだった。その役作りのために、テレビアニメ『ベルサイユのばら』(日本テレビ)で主人公の1人、マリー・アントワネットを研究していた。
中学生になると、ホリプロタレントスカウトキャラバンやテレビドラマなどの様々なオーディションに応募した。名古屋を舞台にした連続テレビドラマ『中学生日記』(NHK名古屋放送局)にエキストラとして出演したが、重要な役を任される矢先に降板している。1981年(昭和56年)8月、姉が購読していた雑誌『高一時代』(旺文社)に載っていたオーディション『ニコン フレッシュギャルコンテスト』に中学2年生で応募し、準グランプリに選ばれた。写真は月刊誌『写楽』(小学館)1982年3月号に掲載され、特大ポスターが全国各所に貼り出された。中学3年生の夏休みには、大阪城で開催された『ニコン 中・高生のためのカメラ教室』の写真モデルになっているが、いずれも芸能界入りにはつながらなかった。
(出典:wikipedia引用転載)


(ニコンフレッシュギャルコンテスト)
1982年(昭和57年)6月、前年に応募していたオーディション番組『スター誕生!』(日本テレビ)の予選会通知が中京テレビから届いた。「中学2年生で出場、中学3年生でデビュー」の計画から1年遅れの通知だった。担任教諭に反対される中、学校を無断欠席して名古屋地区予選に出場。北原佐和子「マイ・ボーイフレンド」を歌い、決戦大会への切符を掴む。しかし、家族にも反対されたため、12月の決戦大会出場を断念。ハンガー・ストライキを起こし、自分の部屋に閉じこもる。数日後、芸能界入りの条件として「学内テストで学年1位になること」「中部統一模擬試験で学内5位以内に入ること」「第1志望の名古屋市立向陽高等学校に合格すること」を母親から提示された。学業成績が優秀でも厳しい条件だったが、猛勉強の末に全てクリア。さらに、地区予選に立ち会っていた芸能事務所「サンミュージック」専務・福田時雄と番組プロデューサー・金谷勲夫が家族へ説得したこともあり、1983年3月の決戦大会への出場を許された。3月30日、『スター誕生!』第46回決戦大会で中森明菜「スローモーション」を歌い、結果は後日発表されることとなった。
1983年(昭和58年)4月、名古屋市立向陽高等学校に入学。部活動はサッカー部のマネージャーだったが、スコアの付け方がわからず雑用係だった。それからしばらくして、『スター誕生!』決戦大会の合格が伝えられた。芸能事務所はサンミュージックと研音、レコード会社はキャニオンレコードとVAPから指名され、「サンミュージック」「キャニオンレコード」との契約が決まった。5月12日から、名古屋を舞台にした映画『アイコ十六歳』(日本ヘラルド)のオーディションを受けるが、7月11日の第5次選考(最終選考)で落選している。
(出典:wikipedia引用転載)

(名古屋地区決戦での佐藤佳代)
(参考動画:https://youtu.be/eXAd2DeJs5U:youtubu引用)

(左は当時・右は現在の名古屋市立向陽高等学校)
★岡田有希子 / ファースト・デイト☆くちびるNetwork 1984-1986
(https://youtu.be/_k9u0v2SPDw:youtubu引用)
『ファースト・デイト』-1984.4.21
歌手:岡田有希子 作詞/作曲:竹内まりや 編曲:萩田光雄
『くちびるNetwork』-1986.1.29
歌手:岡田有希子 作詞 :Seiko 作曲:坂本龍一 編曲:かしぶち哲郎
★追記…
昭和の伝説アイドルと言われた岡田有希子。昭和の時代を急ぎ足で駆け巡った彼女だが命日、誕生日の日には墓前の前には、献花が絶えることなく多くの方が今なお彼女を偲び参拝に訪れる。これ程までに、慕われるタレントもあまりいない。
それだけ、彼女には人を惹きつける魅力(オーラ)があるのだと。
これからも多くのファンが増えることは間違いないだろう。…

訪問して頂きありがとうございます。
応援のボタン(FC2、ブログ村)を押していただけるとユッコもトニーも
今後の励みになるニャン😸

