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明石家さんまのラジオが来たぞ!/岡田有希子

【明石家さんまのラジオが来たぞ!/岡田有希子】
1985年6月8日(土)は「明石家さんまのラジオが来たぞ!東京めぐりブンブン大放送『ロッテ ヤンスタNo.1』」(ニッポン放送)の放送日。
収録は5月21日にニッポン放送にて〔6/8(土) OA〕。
ゲストとして岡田有希子さんが出演。

明石家さんまさんがパーソナリティーを進行するラジオのレギュラーにラッシャー板前さん他アシスタントで構成。

ゲストを交えて軽やかなバラエティーラジオ番組です。当初はタイトル通り都内各所に出没してそこから生放送をしていたが、やがて有楽町のスタジオからの放送になった。

放送期間は1983年5月7日 - 1988年3月26日。放送時間は土曜日23:00-翌1:00
ニッポン放送 (生放送)
(出典:wikipedia一部引用転載)


「生だ!さんまのヒットマッチ」:明石家さんま/岡田有希子
     「生だ!さんまのヒットマッチ」ーテレビ朝日(毎週日曜日朝11時)
      ゲスト:チェッカーズ、アン・ルイス、岡田有希子ほか    
      https://youtu.be/9TWgOkMpl8Y:引用元  画像:twitterより



岡田有希子 - 明石家さんまのブンブン大放送 1/2

放送の内容は、新曲に合わせて髪をショートヘアーにした話から。
全国ファン自慢では選び抜かれたファンの二人からユッコについて
どれだけユッコについて知っているか争うゲーム式トーク。
SUPER ME HER さんまのアイドル丸かじり コーナー他。



岡田有希子 - 明石家さんまのブンブン大放送 2/2

後半では、明石家さんまさん岡田有希子さんラッシャー板前さんの三人による
コミュニティトークに参加し血液型や運動神経などコミュニカルトークで話題が弾み
テレビ東京「ヤンヤン歌うスタジオ」収録での話題に。

リスナーからの質問をラッシャー板前が読み"「台本を目が悪いもんだから一生懸命こう読みながら目にくっつけながら歩いたのを階段降りていたそうです。
そしたら、いきなり台本が近づいているもんだから"こけまして"それを後ろでトシ(田原俊彦)さんが見てて大笑いしたと言うんですけれどもそんなにユッコちゃんはドジ何ですか?」

…ユッコ「もう、いきなり後ろに見られてたという」…(笑)
そしたら、ユッコちゃんの歌をですね、早めにかけた方がいいという誰かが言っとりますがユッコちゃんの『Summer Beach』…


終始なごやかな雰囲気に番組は進みユッコも楽しくトークに参加。
最後はバラエティー番組のベテラン明石家さんまさんのまとめトークにてラジオ番組収録終了。


岡田有希子 -Summer Beach-1985.5月
(日本テレビ:酒井広のうわさのスタジオゲスト)
歌手:岡田有希子 作詞/作曲:尾崎亜美 編曲:松任谷正隆
https://youtu.be/8AXAUfpJBUY:引用元

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ユッコの修学旅行(堀越学園)/岡田有希子

【ユッコ(堀越学園)の修学旅行】
1985年(昭和60年)6月5日㈭は岡田有希子さんが通っている堀越学園の
修学旅行の日です。堀越高校芸能活動コース北海道修学旅行。
当初修学旅行の予定は1週間の予定でしたが人気絶頂期であった
岡田有希子さんはスイスでのビデオ撮影のお仕事があり北海道旅行を
最後まで参加できませんでした。
学園の仲間と一緒に入れたのも束の間の時間でした。

行き先は摩周湖。名古屋育ちの岡田有希子さんには6月の北海道は
さすがにちょっと寒かったのではないかと思います。

<堀越高校3年D組 北海道修学旅行 北海道6/5~6/8まで>

堀越高校芸能活動コース北海道修学旅行
            堀越高校芸能活動コース北海道修学旅行
           寒さにびっくり  温泉にドボン!

【堀越学園のクラスメイト】
             【越学園のクラスメイト】
        ー左から宮崎ますみさん、南野陽子さん、岡田有希子さん
              松本友里さん、桑田靖子さん、田中久美さん

左から田中久美さん、ユッコ、南野陽子さん
        展望台と思われる場所でにこやかにお菓子を食べながら
        おしゃべりタイム!
        左から田中久美さん、ユッコ、南野陽子さん

倉沢淳美さんとユッコが2ショット
             「まりも」で有名な阿寒湖。
             雄阿寒岳(おあかんだけ)のすそ野をバックに
             倉沢淳美さんとユッコが2ショットで"ニコ"っと

YUKIKOファンクラブ 会報7月号にて
         YUKIKOファンクラブ 会報7月号にて
       "堀越学園の修学旅行"では 北海道へ行ってきたんですヨ

        But 仕事の為 途中で 抜けなくちゃ いけなかったのが

        ホントに悲しいと いうか くやしかった くすん 

        だって やっぱり 修学旅行って 最後の方になると

        みんな盛り上がって ワイワイ 騒ぐじゃない?

        それなのに 私はそれを経験できなかったの Desu 

        でも しょうがない 私は新曲に燃えます!!

         ×××      かっこよく決めよーと


堀越学園のクラスメイトー仲良し五人
            堀越学園のクラスメイトー仲良し五人
            宮崎ますみさん、南野陽子さん、桑田靖子さん 
            岡田有希子さん、田中久美さん

   ◉4日目以降岡田有希子さんは仕事が入っていた為
    クラスメイトと分かれる。海外のスイスにビデオ撮影の為出発。


堀越学園のクラスメイト
           ー堀越学園のクラスメイトー
           田中久美さん、岡田有希子さん、南野陽子さん
           宮崎ますみさん、桑田靖子さん


◉堀越高校のクラスメイト。修学旅行での写真はその他にも多数存在するが
特にこの五人で写ったクラスメイトの写真が多い。
その中でもユッコの隣りはいつも寄り添うように田中久美さんがいる。


◉岡田有希子さんにとって堀越学園のクラスメイトで行く修学旅行は思い出深い修学旅行となったはずです。
仕事が多忙中束の間の時間だったけれども堀越学園のクラスメイトと行く修学旅行は
二度とない仲間との時間。今迄の人生の中できっと楽しい、いい思い出の時間だったと思う。



岡田有希子 Memories in Swiss #岡田有希子
https://youtu.be/pCdMi0Kyc7k:引用元
収録曲
1.花鳥図
 作詞:高橋修 作曲:財津和夫 編曲:松任谷正隆

2.Love Fair
 作詞/作曲:かしぶち哲郎 編曲:松任谷正隆

3.リトルプリンセス
 作詞/作曲:竹内まりや 編曲:大村雅朗 

4.ファースト・デイト
 作詞/作曲:竹内まりや 編曲:萩田光雄

5.哀しい予感
 作詞/作曲:竹内まりや 編曲:松任谷正隆

6.流星の高原
 作詞/作曲:高橋修 編曲:松任谷正隆

7.恋はじめまして
 作詞/作曲:竹内まりや 編曲:萩田光雄

8.水色プリンセス -水の精-
 作詞:三浦徳子 作曲:小室哲哉 編曲:松任谷正隆


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河合奈保子さんと岡田有希子

【河合奈保子さんと岡田有希子】

河合奈保子さんといえば西城秀樹さんが主宰する新人発掘コンテストの「HIDEKIの弟・妹募集オーディション」に合格し「西城秀樹の妹」というフレーズでその後アイドル歌手としてデビューします。1980年代に入るとデビューが同期の松田聖子柏原芳恵とともに「三大アイドル」と呼ばれた。その後テレビやラジオ、ドラマと活躍。デビュー2年目の1981年10月5日16時頃、NHKホールでの『レッツゴーヤング』のリハーサル中、誤って4m下の迫りに転落し第一腰椎圧迫骨折の重傷を負う。約2ヶ月間の療養の後、同年11月30日放送の『夜のヒットスタジオ』より復帰を果たす。同年12月31日の第32回NHK紅白歌合戦に「スマイル・フォー・ミー」で初出場しトップバッターを務めた。
(出典:wikipedia一部引用)


◉岡田有希子さんが雑誌のインタビューで河合奈保子さんのことを語っている記事ー
よい子の歌謡曲「ベスト オブ 岡田有希子」から一部引用文言

-どういうところが、好き?

「え、なんか可愛らしそうっていうか、優しそうっていうか、ぜんぜん、こう、今でも変わらないトコがいいですね昔から、優しそうで。で、どんどん歌とかうまくなっていって、歌手としては成長してるんだけど、ぜんぜん、こう、スターにならないっていうか、スターなんだけどスターぶらないっていうか、とっても優しい雰囲気が、好きですね。」

-実際の印象としては?

「やっぱり、見てた通りの人というか、想像してた通りの人で、すごい、それがうれしかったですね。テレビで見てるのと実際が違わなくて、ホント、よかったナ、って思って。」

-NHKとかでは注意しないとね。セリ穴に落っこちちゃうから。
*「'81年11月、河合奈保子は”レッツゴーヤング”(NHK)出演中、誤ってセリ穴に転落し、重傷を負った。」

「そうですねえ。あの時、ホント、でも、すごいショックでしたね。かわいそうだな、もう、なんか替わってあげたい、とか思いましたけどね。奈保子さんがかわいそうでかわいそうで、思わず泣いた、という、あ、奈保子ちゃん、かわいそうかわいそう、とか言ってネ、もうギャアギャア叫んでました、お母さんとか一緒に。私が寝てたら起こしにきたんですよね。」

「よい子の歌謡曲」No.18 &
「よい子の歌謡曲」4月増刊号 ベスト オブ 岡田有希子より引用

※雑誌のインタビューに語っている通り岡田有希子(ユッコ)さんの中では河合奈保子さんをお手本としていたのではないかと思います。ファンに対しての優しさ、気遣いなどは河合奈保子さんを尊ぶ岡田有希子さんの芸能活動にも活かされていた

(左)岡田有希子さん (右)河合奈保子さん
           (左)岡田有希子さん (右)河合奈保子さん
           憧れの奈保子さんとも楽屋が一緒だった。

中学2年生の当時に描いたとされる河合さんの肖像。佐藤佳代作
            画像は、岡田有希子さんが中学2年生の当時に
            描いたとされる河合さんの肖像。
            『スマイル~』のリリース 画像:Twitter.com


左から岡田有希子さん 右は河合奈保子さん お辞儀をする二人。
 コンサート会場・イベントなどでファンの方に深くお辞儀をするお二人。
         左から岡田有希子さん 右は河合奈保子さん

   ◉岡田有希子さんも良くファンの方に深くお辞儀をされた方である。
    写真をご覧いただければお二人は共通している部分が多い。
    岡田さんは河合奈保子さんの事を尊敬しており河合奈保子さんの
    ファンに対する優しさやお辞儀などをみてお手本にされたのでしょう。
    マイクを持って歌う手も左手でどことなく似ている。

    このことを"ロールモデル"というそうです。
    "ロールモデル"はなんぞやということですが検索して調べて見ると
    一般的に考え方や行動の規範になる人物を意味する、とありました。
    岡田有希子さんにとって河合奈保子さんは"ロールモデル"の
    お手本となる方ですね。


『みゆき』10巻ー著書:あだち充 少年ビックコミックスより
           『みゆき』10巻ー著書:あだち充
              少年ビックコミックスより

水着姿:河合奈保子/岡田有希子
         水着姿:河合奈保子(左) 岡田有希子(右)
         ※よく見ると『みゆき』に描かれている水着姿の女性二人は
          河合奈保子さんと岡田有希子さんにも似ている。
                                  twitter.com

★他にもいくつか共通点があってお二人とも血液型は”O型"である。
"O型"どうしの女性は非常にお互いに相手にあまり気を遣わずに、 ウラオモテなく
一番気楽で気さくな関係を築けるタイプです。
まさしくこのお二人は当てはまるかと。
また、竹内まりやさんが提供してくださった楽曲にも二人は関わっている共通点。


【河合奈保子】

河合 奈保子(かわい なおこ、1963年7月24日 - )さんは、日本の女性・アイドル歌手、シンガーソングライター、アーティスト、作曲家、女優。娘は元歌手のkaho
身長160センチメートル。血液型はO型。

1980年代初頭、デビューが同期の松田聖子柏原芳恵とともに「3大アイドル」と呼ばれた。
所属事務所は芸映プロダクション、レコード会社は日本コロムビアに所属していた。1980年代の歌手・アイドルの一人である。本名は「かわい なほこ」だが、芸名では「かわい なおこ」と読ませている。

シングル売上記録は「エスカレーション」「スマイル・フォー・ミー」「夏のヒロイン」「けんかをやめて」(オリコンチャート)の順。
歌以外にもピアノギターマンドリンシンセサイザーを演奏し自作曲(作詞作曲)も発表した。雑誌のグラビアアイドル水泳大会に登場していた。

1996年2月1日、記者会見にてヘアメイクアップアーティスト金原宜保との婚約を発表。同年2月6日に婚姻届を提出。翌1997年の第一子出産を契機に芸能活動を停止する。夫との間に2児あり。このうち第二子のkahoは、2013年11月27日にソニー・ミュージックから「Every Hero/Strong Alone」でデビューし、音楽活動をしていた時期があった。
現在はオーストラリア在住。

【アイドル時代】

1979年12月、芸映プロが自社の看板スターである西城秀樹の名を冠して主催した新人発掘コンテスト「HIDEKIの弟・妹募集オーディション」に応募。河合さんがオーディションを知ったのは締切の直前で、応募書類とデモテープを作成して送ったのは締切前日だった。オーディションの選考過程も紙一重で、大本恭敬の「理想の声に近づく本」によれば、大阪の地区予選も一旦は最終審査に残らず、当初の定数1名に対して特別に2人目の代表として選出された(最初に選考され、河合さんと共に決勝大会に進んだもう一人の大阪代表は後の小林千絵)。翌1980年3月16日に中野サンプラザで開催された決勝大会で優勝する。オーディション応募テープでは「オリビアを聴きながら」を、決勝大会では「春ラ!ラ!ラ!」を歌った。

同月末に上京して歌レッスンを受けた後、1980年6月1日に「大きな森の小さなお家」で「西城秀樹の妹」という触れ込みとともに、アイドル歌手としてデビュー。この過程で明治大学付属中野高校定時制に編入し、後に卒業した。

河合奈保子/デビュー曲「大きな森の小さなお家」-1980.6/1デビュー
         「大きな森の小さなお家」-1980.6/1デビュー

なお、歌手デビュー当時のキャッチフレーズは「ほほえみさわやか カナリー・ガール」であった。2枚目のシングル「ヤング・ボーイ」がヒットとなり複数の音楽祭で新人賞を受賞する。

デビュー2年目の1981年10月5日16時頃、NHKホールでの『レッツゴーヤング』のリハーサル中、誤って4m下の迫りに転落し第一腰椎圧迫骨折の重傷を負う。約2ヶ月間の療養の後、同年11月30日放送の『夜のヒットスタジオ』より復帰を果たす。同年12月31日の第32回NHK紅白歌合戦に「スマイル・フォー・ミー」で初出場しトップバッターを務めた。翌年4月頃まで療養のためにコルセットを腰に装着して芸能活動を行う。NHK紅白歌合戦に初出場した際は、転落事故からの復帰直後で、かつ事故現場のNHKホールだったが、本人によればリハーサルは恐怖感が先に立ったものの、本番の出番寸前に不安や緊張が全て消えたという。

1983年12月6日より盲腸の摘出手術で東京・渋谷病院に入院し、同年12月14日に退院した。12月18日まで休養し、翌12月19日の「夜のヒットスタジオ」で復帰を果たした。

歌唱中、マイクロフォンは左手で持つことが多かった。
ライブコンサートは1980年代の後半まで行われた。1983年から1988年まで7月24日の誕生日に東京よみうりランドのEAST野外ステージで行われたバースデイライブなどが行われ、EASTライブは6回全てが映像ソフト化されている。

【アイドル以外の仕事】

1984年発表のアルバム「DAYDREAM COAST 」では録音から制作に参加、それを契機に音楽の制作面にも関与する。
1986年には初の全作曲オリジナルアルバム「スカーレット」を発表。
1984年7月からMBSラジオMBSヤングタウン』(ヤンタン)火曜日のメインパーソナリティ。嘉門達夫らとの共演で、1989年2月まで約4年7か月にわたり出演した。

1987年4月のKBS京都の交通安全キャンペーン「かたつむり大作戦」のキャンペーンソングの歌詞募集の選考し、その詩に自ら作曲した『やさしさの贈り物』を「かたつむり大作戦」の会場KBSホールから歌唱した。またこの時期はテレビドラマミュージカルにも積極的に出演した。1985年のアニメ映画『ルパン三世 バビロンの黄金伝説』では主題歌と共に声優として出演。

1989年には、ミュージカル『THE LOVER in ME 〜恋人が幽霊』に出演し、同作品では作曲も担当した。テレビドラマでは、『さすらい刑事旅情編』、『ママじゃないってば!』に出演。
1988年に岐阜市で行われた「ぎふ中部未来博」で、メインパビリオンであるスカイマックス未来館の館内環境音楽を担当した。
1989年から1990年には、ザ・ジェントル・ウインド名義のセッションアルバム「Tears of Nature」、「Gentle Voice」で全作曲を担当すると共に、キーボード奏者兼バックグランドボーカルとして参加し、ミッキー吉野らと共演したこともあった。
日本作曲家協会に所属していた。

【芸能界活動停止】

1996年2月1日、記者会見にてヘアメイクアーティスト金原宜保との婚約を発表。同年2月6日に結婚。翌1997年の第一子出産を契機に芸能活動を停止する。
(出典:wikipedia引用転載)


『エスカレーション』ー1983.6.1  日本コロムビア 河合奈保子
         『エスカレーション』ー1983.6.1  日本コロムビア
         『恋のハレーション』/B面曲
           (EP: AH-333)


エスカレーション「Escalation」- 河合奈保子「Naoko Kawai」
歌手:河合奈保子 作詞:売野雅勇 作曲:筒美京平 編曲:大村雅朗

https://youtu.be/4BsQ5fx9Kl0:引用元


岡田有希子 二人だけのセレモニー 【1985】
歌手:岡田有希子 作詞:夏目純 作曲:尾崎亜美 編曲:松任谷正隆

https://youtu.be/bflNxdH9Bpc:引用元

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